湯船にとける嫉妬心
久しぶりに湯船に湯をはった。実家で暮らしていたころは風呂を洗って湯をいれるのが私の家事のひとつだったし、家族がみんな風呂好きなので毎日のように湯船につかっていたが、一人暮らしを始めてからは月に一回あるかないかだ。
シャワーですませたほうがガス水道代ともに安くつくし、手間もすくない。一人で湯につかるのはちょっとばかし贅沢なのである。
それにしても湯につかるのは本当に気持ちいい。控えめに言って最高だ。
某カヲル君風にいうなら、「風呂はいいねぇ。風呂は心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ」という感じだろうか。
バスタブのふちに頭をもたせかけてぼーっと天井を見ていると、いろんな考え事がぷかぷかと浮かんでくる。他の場所では考えるだけで落ち込んだり心が闇雲に波立つようなことでも、風呂場ではなぜかフラットな気持ちで考えられる。
今夜私が風呂で考えていたのは「嫉妬について」だ。
妬み、嫉む。他人をうらやんでその成功を憎く思ったり、好きな人が知らないやつと楽しそうに話しててムカついたり、そういう気持ち。
嫉妬の厄介なところは、自分ではどうしようもないことを恨みがましくネチネチと考え込んでしまうところだ。胸の中でドス黒い気持ちがとぐろを巻いて、どうやっても追い出せない。むしろ追い出そうとすればするほど自分の心に余計に食い込む、そういう感情だと思う。
しかしこういう感情があるからやる気がでるというのも事実だ。誰かをうらやむのは、自分もよりよくなりたいという気持ちの表れだろう。
あの人が金を持っていて妬ましいから自分も金持ちになりたい、あいつばっかりいい思いして嫉ましいから自分もかっこよくなってモテたい。そんな気持ちで一念発起することだってあるのだから人間に余計な感情などはないのだと納得したりもする。
しかし、恋愛における嫉妬だけは少し別だと思う。
例えばここに大学生のA君がいたとしよう。A君は頭がよくてマジメで、おまけにかっこよくて女の子にキャーキャー言われてる話題の男の子である。
そんなA君のことが気になって仕方ないのがB君だ。B君は運動神経抜群のお調子者でみんなに愛されてるし友だちも多いけど、恋愛経験は一切なし。
別に自分は自分で楽しくやってるし、Aとは友だちだけど一番の仲良しってわけでもないし、関係ないのだ。
そんな風に思おうとしても、部活している時に遠くに誰かと歩いてるA君を見かけるとちっとも部活に集中できなくなってしまうB君。
そんなある日A君に誘われてカラオケに行くことになったB君。歌うのは好きだし誘ってもらえるのは嬉しかったので、「いいぜ」と笑うとA君もニッコリ。
ところがついてみれば、まるで合コンのような有様。男女入り乱れて八人部屋を二つとるよくわからない状態に。
お調子者で輪に入るのに苦労するタイプではないB君だが、さすがにこれには辟易してしまう。しかも女子はA君のときはあからさまに歌を聞いているのに、他の男の時はどこ吹く風で曲を選んでいる始末。
ため息をついてトイレに立つ。
なんとなく殺伐とした気分で用を足していると、隣にAがやってくる。何を言っていいかわからないでいると、「ごめんな、こんな大人数のつもりじゃなかったのにあっという間に増えちゃって…」と申し訳なさそうに謝られる。
「別にいいよ。ていうかAはいいよな、先生にも褒められてるしいっつもモテてるし楽しそうでさ。なんか違う世界のやつって感じ」
Bは思わずそんな風に言ってしまって、はっと顔をあげる。そこには大切なものが落っこちて割れてしまったような、無防備な表情のA。
思わず視線をそらすとAが言う。
「俺は…俺はお前と二人きりでもよかったんだ。どうでもいいやつらといるよりお前といるほうが……ッ」
ああ悲しきかな、B君は自分がいなくたってA君が楽しそうに見えるのに嫉妬して、自らAを傷つけてしまったのだ。
だけど待ってB君、A君が自分以外と楽しそうにしているとムカつくのはなんで?今日待ち合わせ場所にきたらほかにもたくさん人がいてがっかりしたのはなんで?
それはもちろんA君が好きで、自分がA君といっしょに居たかったからでしょう。A君に特別に思われていたかったのに、自分なんてその他大勢といっしょなのだと思い知らされて悲しかったでしょう。
しかしB君は嫉妬したのだ。自分の知らないところで自分の知らないやつと仲良しなA君に嫉妬して、どうしてそんな風な気分になるのかもわからないままムシャクシャを押し付けてしまった。
ああ悲しきかな、思いあう二人はこうしてすれ違うのである。
なんだか例としてあっているんだかあっていないんだかよくわからなくなってしまった。
私が言いたいのは、恋愛における嫉妬って次につながるどころか破局や事件のきっかけになるパターンが多いよねってことだ。
そもそも恋愛感情というものが不安定なのだ。好きという感情は起爆剤のようなもので、嬉しいとか悲しいとかムカつくとか、そういう感情を加速させてしまう。
だからそこに嫉妬が加わると、つい思ってもないことを言ってしまったりしてしまったりするのだろう。
その根底にあるのは、「アイツは自分のことなんかなんとも思ってないんじゃないか」って不安だ。
普段は眠っているその不安は他の人と楽しそうに話していたとか、自分の知らないところで遊びに行っていたとか、そんなくだらないことでたやすく目覚める。
そして一度目覚めてしまうと心の中に巣をつくってなかなか離れてくれない。自分の自信のないところ(身体が貧弱、話が面白くない、顔がよくない、etc)を引き合いに出しては、だからアイツは自分のことなんか好きじゃないに違いないと不毛な勘違いを加速させる始末。
世の中に自分以外の女の連絡先を消させようとする恋人や、どこに行くにも何をするにも逐一報告を要求する人間がいるのもうなずけようというものである。
彼らは好きな相手に依存し、その人が誰かと楽しそうにすることに嫉妬し、その状況を排除しようとする。嫉妬は人を狂わせるというが、まさしく狂気の沙汰である。
じゃあどうすればそんな嫉妬心は落ち着くんだろうかムリだ。
改行すら入らない速度で答えが出てしまった…。
だってムリなものはムリだ、無理難題なのだ。
もう嫉妬というのは人の性のひとつだと思う。抗えない本性だ。
理想論を言うなら、自信のなさを一つずつ取り除いて自分自身に完璧に満足できる状態になれば消えるのかもしれないが、そんなつまらない人間もいないだろう。
好きな人が知らないやつと楽しそうにしてたら不安になって。
自分をそんな気持ちにする好きな人にムカついて。
それでもやっぱり好きだからやり場がなくて悶々とする。
人間ってそういう生き物だし、私はそういうところを愛おしいと思う。
冒頭に出てきたB君はA君の友だちが多くてモテモテで頭がいいところに嫉妬していたけれど、案外A君の方もB君に嫉妬していたのかもしれない。
お調子者でいつも楽しそうとか、誰とでもあっけらかんとすぐ仲良くなれて笑顔が眩しいとか。そういうところに惹かれて、自分以外に笑いかけていると嫉妬していたのかもしれない。
ていうか私の妄想の中の登場人物なんで当然のように嫉妬してるんですけどね、そりゃもう両片思いならぬ両嫉妬ですよ。お互いのいいところが目についてそこが好きなあまりに嫌いみたいな。
そんでもって付き合ってみてもなぜだか安心できなくて、相手の寝顔をみながら全部自分のものにしたいなんて思うんですよ。
それが青春ってことだ。
そんなようなことを考えていたら、お湯がすっかり冷えてしまった。これじゃのぼせようにものぼせられない。
というより人生常にのぼせあがっているようなものなので、ここはひとつ水垢離か滝行でもしたほうがいいかもしれない。
まあ今日のところはいいや。
お湯を足して、もうしばらく温かい湯船につかるとしよう。