心も身体もまだ健康

 みなさんおはようございます。これを書いている今は、朝五時十六分でございます。

 それではここでクエスチョンです!こんな明け方に、どうして私は起きているのでしょうか?(世界○思議発見風)

 「おお、霞もついに心を入れ替えて早起きを始めたのか」と思った、そこのあなた!

 残・念!ボッシュートです!

 答え:なんとなく眠れなくて、ベッドでゴロゴロしてるうちに朝になった。

 みなさんおはようございます(滑り出しで盛大にスベった空気を感じたので、仕切りなおしをはかっている)。

 外から聞こえてくる、雀のチュンチュンと鳴く声が気持ちよい朝です。さすがにこんな時間に起きているのは久しぶりで、いっそ清々しい。

 ベッドでゴロゴロしているうちに朝になったのは本当だが、いっそ起きることにしたのにはワケがある。私の生活習慣は、近頃あまりにも乱れすぎなのだ。

 なのでいっそ一晩寝ずに過ごし、次の日早めに寝て体内時計をリセットしようという算段だ。

 これが成功すれば、私のこのだらけきった毎日にも終止符が打たれるに違いない。そうなるといいなぁ。

 そういえば最近、長年不思議に思っていた疑問が解消された。それは、「なぜ社会人の人たちは、毎日毎日サボりもせずに仕事に出て行けるのだろうか」という疑問である。

 日々同じことを繰り返していればいずれ慣れるときがくるし、その慣れが億劫になった時に仕事をサボってしまわない人がいるのは不思議なことである。

 ていうか私なら、まず間違いなくサボってしまいそうだ。そんな風に思っていた。

 しかし私はこのだらけきった毎日で、大学に顔を出すことすらサボっていても、今のところバイトにはちゃんと行っている。

 シフトを出すのが遅れてしまったり、仕事自体が少し適当になることはあっても、バイトに遅刻したり欠席したりするようなことはない。

 なぜならバイトには、逃れられない責任が付きまとうからである。

 例えば私がバイトをサボれば、サボった分の仕事は必ず誰かがしなければならなくなる。そうなればその人からの不興を買ってしまうし、上司にも怒られることになるだろう。

 もちろん、入るはずだったお給料ももらえない。信用を失ってしまえば、そもそもシフトに入れてもらえなくなるかもしれない。

 こういったもろもろを考えたときに、仕事をサボって得られるものと失うものは、確実にイコールではないのだ。

 とは言え、こういう考え方が日本のストレス社会を生み出しているのかもしれない。失うことを恐れるあまり、自分の健康を害していることに気づかぬまま、ただ黙々と働き続ける。

 私は道ばたでなんだかイっちゃってる人を見るよりも、静かに壊れていく世の中のお父さんお母さんを見ているほうが恐ろしい。

 よく言われる言葉だが、ここでもその言葉を使おう。「ほんとうに大切なものは目に見えない」のだ。

 というわけで、これからも私の心のおもむくままに、毎日を過ごそうと思います!

 でもなんだかこれって、心の健康にはよくても身体の健康にはとっても悪そうだぞ?

 身体の健康をそこなえば、けっきょく心の健康を失ってしまうことも目に見えている。バランスって大事なんだなぁと思い知らされる。

 そしてそれで言うなら、私は身体の健康を害する生活の真っ最中だ。徹夜しているしな。

 ああ、朝日が昇ってきた。世界がどんどんと明るくなっていく。今日は晴れそうだ。

 朝ごはんを食べて、掃除をして、洗濯をしよう。洗い立ての匂いを胸いっぱいにかぎながら、晴れ渡る空を見上げて、一日のスタートを切ろう。

 そして今日こそはきっと、明日へ向けて早く寝るのだ。ぐっすりと。