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逞しく匂い立つのもいいが、かわいらしく甘えられるのも捨てがたい

 週間連載になったり月間連載になったりと思ったら、もはや更新が止まってしまっているものってなーんだ?

 答え:私のブログ。

 もはやなんの言い訳も立たぬ。遊びほうけていたらこうなった。

 書き始めた当初は、「少なくとも二週間に一回くらいは更新したいよね」と思っていたはずなのじゃがな。

 ここのところ何をしていたのかというと、映画を見たりマンガを読んだり、たまに友人と鍋をかっ食らったりしておりました。

 最近見た映画で個人的にグッときたのは、「アナと雪の女王」だ。まだ公開中であるし、これから見るという方も多いと思うので、内容を聞くのが嫌だという方は以下を読むのはご遠慮くだされ。

 この物語は、雪を生み出しものを凍らせる魔法を持って生まれた女の子のエルサが家出をして、それを双子の妹であるアナが追いかけるという筋書きだ。

 そしてアナは姉を追う旅の途中で、クリストフという男に出会い、ともに旅をすることになる。

 このクリストフが!とにかく!私の好みストライクで!

 映画中に何度「はふーん」と奇声を発しながら鼻血を噴出してしまったか、思い出せないほどである。

 ちなみに私の好みとは、逞しくて、ヘタレで、体臭のキツそうな男性だ。クリストフはこの条件を完璧に満たした、ナイスガイである。

 女の子に対しては飛び切り奥手で、だけど愛するとはどういうことかを知っているいい男だ。

 というわけで、「アナと雪の女王」はクリストフの男らしくてかわいらしいところが満載されているすばらしい映画です。

 え、そういう映画じゃないって?楽しみ方は人それぞれなのじゃよ、ふぉふぉふぉ。

 もちろん見所は他にもたくさんありました、はい。私が意図的に、クリストフのむっちりした胸元や尻を追いかけていただけです。

 ディズニーらしさといえば、映像の美しさ、キメ細やかさと、やはり音楽であろう。

 エルサの魔法の表現は、どのシーンでも目を見張るほど美しかった。キラキラとした雪の結晶を生み出し、それが凍りつくまでを一瞬に納めている。

 キャラクターたちは自分の気持ちを表現するのに、ミュージカル的な動きを繰り広げるのだが、それもかわいらしくて見入ってしまった。

 もう一つこの映画を私が面白いと思ったのは、笑いのセンスが随所で光っているところだ。特にいつでも陽気な雪だるま、オラフがいい味をだしていた。

 言葉では伝えられない愉快さと感動とを兼ね備えた映画なので、ぜひとも本編を見に行ってほしい。

 映画を見た後は、久しぶりに実家に帰った。近ごろ、母親からの帰って来いコールが激しい。父が東京に単身赴任をしているのでさみしいのだろうが、引きこもりの私は実家まで帰るのがめんどうで仕方がない。

 とはいえ、さすがに「帰って来い」と言われて帰らないわけにもいかず、なるべく定期的に実家に帰っている。

 実家に帰るとなにがいいかって、ご飯がタダで準備されることだ。そしてこういうことを考えてしまう自分の人間性について、小一時間ほど悩むことになる。

 この日も「メシがタダだから家に帰るっていうのはどうなんだ」と、母親の買い物に付き合いながら考えていた。

 上の空でカートを押していると、不意にカートを押す手の上に、手のひらが重なってくる。

 視界に何もうつっていないのにいきなり手を触られる驚きが分かるだろうか。その上その手は、しっとりとした温かで小さな手のひらだった。

 視線を下にやると、そこにはなぜか嬉しそうな笑顔の少年が居た。

 甘えるように握られる手、かわいらしい笑顔の男の子、公共の場。焼ききれんばかりの速度で回転を始めた私の脳みそは、空回りすること風のごとしだ。

 本能が告げる。

 「抱きしめろ、今すぐ抱きしめるんだ。こんなに無防備な笑顔を向けている上に、手を握ってきてるんだぞ。これはもうOKということだ」

 いやいや何がOKなんですか。むしろデンジャーゾーンに突入しすぎて、画面が真っ赤だ。

 とりあえず「コンニチワ」と挨拶をしてみる。必要以上にフレンドリーだと下心を見抜かれる気がして、能面のような表情だ。声はさしずめ合成音声か。

 「あ、こ、こんにちは……」

 少しはにかむように言った少年は、慌てて彼の両親らしき人のもとへと走っていった。あぁ、つまらない日常に不意に舞い降りた天使が去ってしまった。

 なんというか、小さな男の子というのは抱き上げて頬ずりしたくなるかわいさに満ちていると思う。

 そういえば以前友達のところに赤ん坊が産まれたとき、彼の母親は「かわいすぎてお尻に頬ずりしたくなる」といっていた。そして実際にしていた。

 それを見ながら私は、「こんな時期からケツに頬ずりされて、変なクセでもつくのではなかろうか」と思った。心が汚れている。

 たいていの人は、赤ん坊のころに尻っぺたに頬ずりされるほどかわいがられていたことも忘れて、大人になっているのだ。もしも子どもができたら、私も頬ずりをしよう。

 買い物を済ませた後家に帰って、実家ですき焼きを食べた。普段は食べない高い牛肉を食べれたので、非常に満足である。

 親というのはなかなか難しい存在だ。子どもが年をとるとあまり近づけば疎まれる。しかし向こうからすれば、小さいころはさんざん抱きしめたりかわいがったりしていたクセも抜けない。

 それで「小さいことはあんなに」なんて、言ってしまうのかもしれない。

 母がさみしがる気持ちもわからなくはないのだが、どうしても愚痴を聞かされると面倒くさいと思ってしまう。埋まらない溝が深まる。

 お互いがもう少しずつ相手の気持ちを考えられればいいのかもしれないが、いまさら改まってそんなことも言えぬ。

 スーパーで出会った少年のように、無邪気な笑顔で甘えられていたころが懐かしい。

 彼を養子に迎えれば、母は寂しくなくなるし私にはかわいい弟ができるし、一石二鳥なのでは。

 問題なのは邪念だらけの私なのかもしれぬ。でも私から邪念を断ち切ったら、一体何が残るのだろうか。

 私が消滅せずにすむように、さっさと親とは和解したいものである。