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殺人ライセンス

 私は本日、ついに第一種殺人ライセンスを取得した。平たく言うと、運転免許を手に入れた。

 露悪趣味があるわけではないが、私は運転が苦手である。人を跳ね飛ばさないかと心配で、法定速度以下でノロノロと走ったりする。かと思うと、何をトチ狂ったのか曲がり角に加速しながら突っ込んだりする。

 そんな私がついに手に入れてしまった運転免許を、「殺人ライセンス」と呼ぶのも問題はないかと思う。いや、問題だらけなんだけどさ…。

 それにしても、免許センターというのは非日常の場所である。見慣れぬ単語だらけであった。

 教習所に通っている時も思っていたのだが、車に関する場所というのはどうにも馴染めない。たぶん、共通点のない様々な人が訪れているからだと思う。

高校を卒業したばかりとおぼしき、初々しい男の子。ネクラな大学生(私のことだ)。ヤンキーっぽい、金髪のあんちゃんやねーちゃん。「そ、その体で車を運転なさるんですか?」と思わず聞きたくなるような、おじいちゃんにおばあちゃん。

 幼稚園から大学まで、囲われた環境で育ってきた私には、いろんな人がごちゃまぜになっている場所というのが落ち着かないのだろう。

 それに、どちらも一応警察に関連する機関なのだ。今のところ警察にお世話になるようなことはしていないので、目に新しいのも当然である。

 場所自体というより雰囲気が、私には馴染みのないものなのだ。まぁ、警察関係の場所というのは、どこでも落ち着かないものなのだけどな。

 魂に欲望という業を背負っている身としては、いつ断罪されるか気が気でない。

 実は、これを理由に落とされたとしても仕方ないかもしれないと思っていたのだが、私が教習所を卒業したのは去年の十月の終わりごろである。つまり丸々一年、免許のことはほったらかしだったわけである。

 いや、ほら!就活とか忙しかったし!卒論もあったし!今のところ、どちらも芳しい成果はでていないわけだが。

 うっ、悲しみを吐露したかったのではない。

 ギリギリになってようやく「免許センターに行かなければ」と気付いたのが今週の頭である。いっそ思い出せたのが奇跡に近い。

 しかしさらに、勉強をするでもなく免許センターに行く予定を立てるでもなく数日を過ごし、「明日こそ行く…明日こそ行く…」と昨日の九時ごろに決めて勉強を始めた。

 よく受かったな、私。

 そんなこんなで、非常に心臓に悪い免許取得であった。証明写真の有効期限が半年であることを知らず、受付のお兄さんに「あ、この証明写真、去年の十月に撮ったものなので、撮りなおしてきてもらえますか?あちらに機械が…ん、十月?一年なにしてたんですか?」と、微妙に白い眼で見られた。

 なにもしてなかったんですとはさすがに答えられず、曖昧な笑顔で「すっかり忘れていました」と答える私。あのお兄さんは私が無事に免許を取得したことに、驚いたのではないだろうか。

 言わせてもらえば、無事に試験を通過するとは思っていなかったので、一番驚いたのは私である。

 発表前には、「めんどくさいめんどくさい…また書類をそろえてここまでくるのはめんどくさい…どうか受かってますように…」と、完全に自分が悪いのを棚にあげて神頼みをした。困った時に人は神にすがるのだ(開き直り)。

 神は私の願いを聞き入れて、試験を通してくれた。ありがたや、ありがたや。なむなむ。

 しかし、神様は優しいだけではない。きちんと天罰を用意していたようである。

 合格発表で浮かれた私はまともに係りの人の説明を聞いておらず、みんながフラフラと向かう先に真っ先に向かった。とりあえずついて行くと言うダメ人間の典型である。

 そこで「名前なかったの?」と聞かれた。一瞬で不安に襲われる私。

 も、もしかして番号見間違えた!?自分の番号ないのに、合格してると勘違いした!?

 「な、なかったですか!?」と、焦って声を上げる私に若干ひきながら、おじさんは「ここは試験に落ちた人が来るところだから、受かった人はあっちに行ってね」と、優しく別の窓口を案内してくれた。すみません、話を聞いてなくてすみません…。

 正直に申し上げると、目をつけていたイケメンがまっすぐにそっちに向かったので、何も考えずについていっただけだったのだ。

 しかし彼も受かっているのにその窓口へ向かったらしく、同じようにおじさんに案内されてすごすごと別の窓口へむかっていた。かわいい。

 その後、無事に書類を受けとることができ、午後の講習まで暇なので昼食をとることにした。免許センターには食堂があり、せっかくなのでそこへ向かう。

 しかし神は、こんなところにも天罰を用意していた。

 先輩から「あそこの免許センターのかつ丼とか親子丼は、思ったよりおいしかった」という情報を得ていたので、親子丼を注文する。

 無事にきた親子丼は、すごくおいしいとも不味いともつかず、複雑な味であった。私は基本的には食べられればなんでもいいので、おいしくいただいた。

 食器を片づけようと立ち上がって、食器の返却口へ向かう。返却口の向こうでは、おばさんたちが忙しそうに立ち働いており、小さな声で「ごちそうさまでーす」と呟きながら食器を片づけようとした。

 しかしここで、私の蚊の消え入るような声を聞き届けてくれたおばさんが、話しかけてくる。

 「あら、いいのよわざわざ。そのままそこにおいといて!」

 おばさんの優しさと仕事精神に胸打たれながら、顔をあげてお礼を言おうとした瞬間に事件はおこった!

 ゴッ……。

 瞬間、明滅する視界。額に走る鈍い痛み。ポカンと口をあけるおばさん。え、なにが起こったの?

 どうやら私は、予想外に低い返却口の上の部分に、しこたま額をぶつけたらしい。おお、痛い…。

 おばさんは大きな口を開けてあっはっはと笑いながら、「ごめんねぇ話しかけちゃって。上、気を付けてねぇ」と声をかけてくれた。すみません、もうちょっと早めに言ってほしかったッス。

 痛む額を抑えながら、それでもあまった時間をつぶすため一階へ向かう私。行いが悪かったかなと思いながら、フラフラと歩く。

 そして気が付いたら、私の足元から地面が消えていた。

 見事に階段を踏み外したのである。みなさんも覚えがあるのではないだろうか。突然足元が消える瞬間の、ヒヤリとした感覚を。

 額に気をとられていた私は完全に意表を突かれ、「ふんぎゃ!?」というような悲鳴をあげつつ、とっさに手すりにしがみついた。

 神様、お気持ちよーく分かりました。

 もう二度と、大事なことを後回しにはいたしません。

……なるべく、たぶん。

 そんな決意を胸に、残りの講習を過ごした。さすがに神様もわかってくれたのか、それ以降は特に事件も無く、心穏やかにすごせましたとさ。

 朝八時から、昼の三時ごろまでかかったが、運転免許という名の殺人ライセンスを無事に取得できたので、ご機嫌で帰りのバスに乗る。

 今日取り逃していたら、本格的に今後困ることになっていたので、無事にとれてよかった。

 これで安心と、バスの座席にもたれてひと眠りしようとしたところで、今度は座席を蹴られた。今日はつくづくついていない。

 そっと後ろを振り返ると、全体的に明るい茶髪の坊主頭で、襟足だけを伸ばしたような髪型の、ガタイのいい男子が座っていた。典型的なヤンキーである。確実にタッパは私よりあるし、貧弱すぎる私など片手でへし折られそうな勢いである。

 イスを蹴ったのは本意ではないようだったが、その後も膝で突っ張るのをやめてくれず、微妙にモゾモゾしながら過ごす。ああ、落ち着かない。

 それでもなんとか落ち着ける場所を見つけて、ふぅやれやれと眠ろうとしたら、バスの中に今度はやたらとポップなミュージックが流れてきた。明らかに誰かの着信音である。

 クソ、誰だよ、マナーモードにしとけよ、マナーを守れよ――

 「あ、もしもし?」

 またお前かい!

 後ろの席の男子に、思わず心の中で突っ込みを入れる。ていうか電話に出るのか、出ちゃうのか。静まり返った車内に、ヤンキーの話し声が響く。

 「あ、今?免許とってきたとこー。そうそう、無事にとれたぜ。ありがと。ん?次の現場?」

 免許をとれた報告をしたら、友達に祝ってもらえたらしい。微妙にはにかみながらお礼を言う声が、なかなかかわいい。どうやら建設や工事系の仕事をしているようだ。彼の友人が、次の仕事場がどこか確認をとるために電話をかけてきたといったところだろう。

 「次は〇〇大の、北側んとこ。ん。そうそう」

 なんと私が通っている大学の名前が出てきた。校舎の改修か何かか…普段行かない側の話をしているので、イマイチ地理関係が掴めぬ。なおも会話は続く。

 「え?お前次の休み土曜なん?じゃあ俺も土曜休もっかな、へへへ。え?泊まり来るん?来たかったら、来りゃええが。お、する?しようやー」

 なんだなんだ、会話が突然不穏だぞ。なんだその恋人同士みたいな会話は。「へへへ」って嬉しそうに照れ笑いするんじゃない、ときめくだろうが。するって何をだ。なにをする気なんだ一体。

 ていうか、仕事の内容からしておそらく電話相手は男だろう。いいのかそんな会話をして。どこで誰が聞いているかわからないんだぞ!

 まぁ、前の座席で私が聞いているんですがね。ぐしし。

 その後彼は電話を切り、再び静寂に包まれるバスの中。振動が心地よい。

 眠気も覚めてしまったので、ぼんやりと窓の外を眺める。免許センターはわりと山の中にあったので、景色がよい。

 瓦屋根が並んでいるのに見蕩れていたら、再び車内に着メロが。

 「あ、もしもし?」

 ま た お ま え か !

 もういっそ会話が気になる。盗み聞きしていようと腹をくくり、耳をダンボのようにする。

 「ん、今免許とってきたとこ。いや、どうもどうも。どうも。どうもどうも」

 やたらと、どうもどうもを繰り返す。道ばたでおばさんたちに挨拶された政治家かよ。

 「よゆーだったよ、まぁ俺にかかればな。免許くらいよゆー、よゆー」

 そうか余裕だったのか。勝手に見た目で「勉強なんかぜんぜんしてこずに来たんだろうなぁ」と判断して、申し訳ない気持ちになる。ヤンキーだから不真面目ということはないのだ。

 「え?まぁ九十点だったけど。実はギリギリだったぜ、なはは」

 九十点かよ!ギリギリだったのかよ!

 「ん?あー、原付は実家だからな。言ったじゃん、オレ今家出中じゃけん、原付とってこんといかん。まぁ帰る気ないんじゃけど」

 しかも家出中!?お前さっき友達泊めるって言ってたじゃないか、そいつのことはどうするつもりだったんだ。

 なんというか、波瀾万丈である。

 「え?週末?あー、いけたらいくわー。じゃあな」

 そんな感じで通話は切れたようである。なんというか、面白すぎる。

 初めは「なんだこいつは」と思っていたのだが、ほのかに隣人愛が芽生えた。

 イスを蹴られたであるとか、車内で電話をするであるとか、そういう細かいことにいちいち目くじらを立てる自分の小ささを、彼に思い知らされた。

 ギリギリでもテストに受かったのだから、なはなと気持ちよさそうに笑うくらいのおおらかさが欲しいものだ。私はずいぶんと、せせこましい世界に生きている。

 彼は自分で仕事をしているようだし、仕事仲間もいて、自分の生活が立ちゆく程度の稼ぎは得ている。だからこその家出だろうと思う。

 自分の家があって、ご飯の心配がない環境でありながら、ついつい不平不満ばかり口にしてしまうことは多い。しかしかえって、そういう環境にないからこそ、彼には自分で生きていける自信というか、自負があった。それが彼をおおらかにしているのではないだろうか。

 マナーがなってなくとも、そんなおおらかさを持っている人を、私は愛しいと感じる。人として生きるのには、マナーよりも大切なものがあるのだ。

 すれ違っただけの男子のおおらかさに、なんだか浄化されたような気分だ。今日という日に免許をとりに行けたのは、幸いである。

 ギリギリだったけどな、なはは。