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ずっと笑って

 心を落ち着けて、狙いを澄ます。体をぐっと安定させてギリギリまで張りつめたところで、ふっと力を抜いて的を射る。ズドンという鈍い音がして的に矢が突き刺さる。後ろに下がって次の自分の順番まで前の人が射るのを見る。

 「あ…浩太…」

 周囲で構えている男より一回りも二回りも小さい体に大きな弓を構えて、全身を緊張させながら的をじっと見つめている姿が目に入る。普段は笑ったり怒ったりくるくる変わる表情が、その時だけは凛々しく顎を上げたまま引き結ばれる。見つめる先と矢の向く先が重なった瞬間に、ビィンという音をさせながら矢を放つ。

 的の真ん中を射抜いた矢を満足気に見てから、くるりと振り返って浩太が自分の居る列に戻ってくる。

「な、健一見た?ど真ん中!」と小声ではしゃぎながら近づいてくるのが憎たらしいけど可愛くて、「はいはい」と言いながら、目線よりずっと下にある浩太の髪の毛を、くしゃくしゃと掻き乱す。

 男にしては柔らかくて、少しだけ癖のある髪の毛は、手で触れると手の平をくすぐってきて触り心地がいい。部活で一番身長の高いおれと、一番身長の低い浩太がそんなことをしていると、周りからはまるで、父親と子どものように見えるらしい。

 ぐしゃぐしゃにされた髪の毛を手で直してから後ろに並んで「な、今日の夜遊びに行っていい?」と、おれの肩をぐっと押さえつけつつ、自分は背伸びをしながら浩太が耳元で囁いてくる。いきなりの近すぎる距離に少しだけドキリとしながら、「あー、いいよ。今日はバイトもないし」と平静を装って返す。

 高校一年の時に友達になった浩太とは、高校三年間なんとなく一緒に過ごしただけだったが、大学に入ってから周りに同じ高校の出身が居なかったこともあり、気が付いたら一番の仲良しになっていた。

 高校時代から、背が低くていつでも屈託なく笑い、喜びも悲しみも怒りも、すぐに表情に出てしまう浩太を好もしいと思っていた。そんな浩太が、大学内で自分を見かけると「あ、健一!」と嬉しそうな顔で駆け寄ってくるのを見るとなんだかやけに可愛く見えて、いつでも自分が隣に居たいと思うようになるまで時間はかからなかった。

 もちろんそんな気持ちは隠していたが、家が近所なこともあり、浩太はしょっちゅうおれの家に泊まりに来る。それで無防備な姿で寝ている姿に悶々とさせられたり、酔っ払って抱き着いてくる浩太を思わず抱きしめ返しそうになってしまっていた。しかし、そのたびにきちんと我慢しながら一緒に過ごしてきた結果、今では周囲からも公認の、一番の仲良しである。

 夜、約束通り浩太が遊びに来た。家の前に着いてから携帯電話を鳴らして「あ、もしもし、健一?来ちゃった」なんて小芝居を入れてくるところが可愛い。部屋もばっちり片づけてあるので、そのまま上がってもらって、作っておいたつまみを出しながらお酒を出しておくように言う。

 「ど・れ・に・し・よ・う・か・なー」なんて言いつつ、いくつか買っておいた酒を物色する姿を横目につまみを用意していると、なんだか付き合っているような気分になって、自然と顔が綻ぶ。

 おれがちょうどそんなことを考えているタイミングで、「毎週こんな風に過ごしてると、まるで付き合ってるみたいだよな」なんて隣で冷蔵庫に顔を突っ込んでる浩太が笑いながら言うものだから、ますますにやけてしまう。

 にやけてしまった照れ隠しに、「おら、さっさと向こう運べ」と少しつっけんどんに言いながら、つまみの乗った皿を持ちつつ、まだ冷蔵庫を物色している尻を腰でドンッと押す。「んー、じゃあこれとこれとこれー」なんて言いながら浩太が酒を何本か机に並べる。

 酒に弱いくせに、強めでおいしい酒をとってくるあたりがちゃっかりしているが、ちょっと高くても浩太が好きな酒を準備しているあたり人のことは言えない。おれは酒の強さには自信があり、大体おれがほろ酔いくらいの時点で浩太はダウンしてしまう。

 介抱できるのを役得と思いつつも、無防備に寝てる浩太にセクハラするわけにもいかず、頬をひっぱったりつまんだりするのが精一杯だ。というかそれ以上は恥ずかしくてとてもできない。おれのことを信頼しきった顔で、寝たまま抱き着いてきたりする浩太を、裏切るわけにもいかないので、そんな関係でも満足しなきゃいけないのがちょっと辛いところだ。

 それからいつものように酒を飲んでくだらないことを話したりしていたのだが、この日は浩太の様子が少しだけいつもと違った。そわそわしているというか、落ち着きがないというか、言いたいことがあるけど切り出すタイミングに困っているという様子だ。

 「お前なんかあったの?」と聞いてみた。

 「いや、な、なんもないって」と、明らかに急にしどろもどろになる浩太に「言いたいことあるなら言えって。 今更隠し事するような仲でもないだろ?」と冗談混じりに聞いてみた。

 それでも口を開こうとしない浩太が不自然で、一体何なのか気になる気持ちが膨らんでいく。

 「おれじゃ、打ち明け話できないか?」そう聞いたら、浩太がようやく口を開いた。

 「おれ、実は女の子に告白されて…。見た目も可愛いし、話し方もちゃんとしてて、すごく、いい子なんだろうな、と思う。でも、その子のこと、おれ何も知らないし、気軽にいいよなんて言えなくて、今は、保留してる。どうしたらいいと思う…?」と、うつむいてぽつりぽつりと言う浩太に、おれは驚きを隠せなかった。

 「そんな話…全然知らなかった…」

 思わず、少し声のトーンが落ちてしまう。

 「当たり前じゃん、人に軽く話せるような内容じゃないし」

 膝を抱えてそう言う姿に、自分にそんな話を打ち明けて、相談してくれた嬉しさと、浩太に恋人ができたらと思うと黒々と沈む気持ちがない交ぜになって、言葉をかけることができなかった。

 男を好きになるって、そういうことだって分かってたつもりだった。好きな男ができて、どんなに頑張って隣に居ても、もしそいつに女の子の恋人ができたら、そこにはもう居られなくなる。もちろん向こうはそんなの気にしないし、「恋人の次の席」におれを座らせてくれる。おれは、ある意味特等席とも呼べるそんな場所で、好きなやつが女の子の恋人と楽しそうに過ごすのを眺めることになる。

 それでも構わないと思っていた。浩太が笑っていられて、幸せそうなら。そして自分がその近くに居られるなら構わないと。

 そのはずなのに、友達よりは近くて恋人よりは遠い指定席が、目の前に迫ってきた途端、苦しくてたまらない。

 「ご、ごめん、こんな相談して…やめよーぜこの話、とりあえず飲もう!」

 重くなりつつある空気の中で、浩太が無理やり明るい声を出して、コップに酒を注ぐ。明るい声を出してるくせに、いつものように表情には思っていることがありありと表れていて、気持ちがどんなに沈んでいても、浩太のそういう自分を偽れないところを、可愛いなと思って気持ちが綻んでしまう。

 ――まずい相談しちゃったな、ちょっと考え無しだったよな、やっちゃったよ…。ていうかこの空気はヤバい、なんとかしなきゃ!

 そんなことを考えてるんだろうなということが窺える。分かりやすすぎて、頑なになりかけていた自分をバカらしいとさえ思えてきた。自分の相談とか、考えとか、悩みとか。普段はそういうものを後回しにして、何気に回りに気を使っている浩太が、自分に、こともあろうに、恋の話を相談してくれた。それを思うと、一瞬で胸がいっぱいになってしまった。

 「付き合ったらいいんじゃないかな」

 気が付いたらすんなりと言葉が口から流れ出していた。

 「浩太は告白されて、見た目とか雰囲気とか『いいな』って思ったんだろ。それって好きとは言わなくても、好きになる可能性がでかいってことじゃないかな。だったら、付き合ってみろよ。せっかく可愛い女の子が、『好きだ』って言ってくれてるんだぜ?お前のためにも、その子のためにも、付き合ってみるのがいいと思う」

 浩太と真逆で自分を偽って、秘密にしてばっかりのおれだけど、ここで浩太のために嘘をつけなきゃ、きっと後悔すると思った。本当は付き合って欲しくない。今まで通りの関係を続けていきたい。でも浩太の顔を見てると、そんなわがままはどこかにいってしまった。

 くるくる変わる浩太の表情の中でも、やっぱり笑ってる顔が一番好きで、その表情がちょっとでも増えるなら、それが一番。気が付いたら、浩太を好きだって自分の気持ちの横に、そんな考えがストンとおさまっていた。

 「そっか、そっかな。そういうもんかな」

 まだちょっと不安げに浩太が言う。

 「そうさ、そうだよ。そういうもんだよ」

 これで最後、と思いながら俯いてる浩太の髪の毛をくしゃりと撫でる。相変わらず触り心地がよくて、ずっと撫でていたくなったけど、一撫でしてからそっと手をはなした。手をはなす時には、浩太の隣の席から去るような気分になった。

 「さぁ、決まり!飲もうぜ!祝い酒だからな、今日はおれも潰れるまで飲むぞ」

 「えっ、健一が潰れるまでって、おれそんなに飲めねぇよ!」

 そんな抗議には耳を貸さず、強めの酒をごくごくと飲み干す。いつもより少しだけ喉に沁みて、ちょっと涙が出そうになったけど、滲みかける視界の中で、浩太がやっと顔を上げていつもの笑顔を見せてくれたから、それも我慢した。

 誰かを好きになるのは、すごくしんどいことだ。誰と誰が付き合ってるだとか、自分の恋人のどんな所がいいだとか、そんな話をされると正直腹が立つこともある。自分が好きな人に恋人ができて、あまつさえのろけ話なんてされた日には、みぞおちに拳をもらったような気分になるだろう。

 それでも、おれは今日、好きな人の笑顔のために、自分にできることをしたと思う。きっとじれったくてたまらない日もくるだろうけど、これからも浩太の友達で居られて、笑顔を見ることができるなら、それも悪くない。