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瓶詰めの死

小噺

 中学生くらいのころから始めた習慣がある。

 朝起きたらまず鍵のかかった机の引き出しを開けて、瓶を取り出す。それから枕元に落ちている髪の毛を拾い集める。丁寧に、一本ずつ。集めた髪の毛を瓶に詰めてもとあった机の引き出しにしまって、再び鍵をかける。

 集めるのは枕元に落ちている髪の毛だけだ。床に落ちている髪の毛を拾っていたらキリがないし、いつの間にか瓶の中に埃がはいってしまっていた。風呂場の髪の毛はびしょびしょでよくわからないぬめりとかがついているので初めから集めるのを断念した。

 枕元に落ちている髪の毛だけ。人によってはそもそもそんな風に髪の毛がつまった瓶を見ただけで「汚い」と判断するだろうけど、今のところそういう気持ちはない。

 

 始めたきっかけは、掃除時間に床をはいていた女子が集まった髪の毛をちりとりにのせながら「キモーい」と言っているのを聞いたことだ。床に落ちている髪の毛には確実にその女子のものもあるし、頭に生えている髪の毛を気持ち悪いと思うことはないだろう。だけど抜けた毛はなぜだか汚いとか気持ち悪いとか、そういうイメージを持たれる。

 俺は髪の毛をそんな風に思ったことはなかった。抜けた毛にも切った爪にも特別な感情を抱いたことはない。昔読んだマンガに切った爪を集めている男が出てきたから、じゃあ自分は髪の毛を集めてみようと思った。その男みたいに伸びた長さをいちいちメモったりはしないけれど。

 

 はじめは、それでも抜けた毛が一定以上集まれば気持ち悪くなると思っていた。だけど瓶に半分以上集まってもそれはただの髪の毛で、俺になんらかの感情を抱かせることはなかった。そこで集めるのをやめてもよかったけど、不意に興味が沸いた。

 俺は髪の毛がどれくらい集まったら、見た時に気持ち悪いと思うんだろう。

 それを確かめるために、もう二十年近く髪の毛を集め続けている。引き出しの中には髪の毛がつまった瓶がたくさん並んでいる。それを見て湧きあがるのは、気持ち悪さや不潔さよりも達成感だ。

 

 集めた髪の毛を眺めていると不思議に思う。どこまでが自分の体で、どこからが自分の身体でなくなるのだろうか。生えている髪の毛は自分のものか、体なのかそれに付属する一部分なのか、抜けてしまうと自分ではなくなるのか。では他人の抜け毛を集めた場合は気味の悪いものになり果てるのか。

 人が抜けた髪の毛を嫌がるのは、生えて、伸びて、離れるという一連の流れが死を連想させるものだからという説もある。そう考えると、もしかしたら俺は死の匂いに鈍感なのかもしれない。死を遠く感じてしまうから、瓶づめにしてわかりやすく感じたいと無意識で願う。なるほど、ありそうな話だ。

 

 俺は身の回りにある死を集めて、人がいつか死ぬ存在だということを思い知りたいのかもしれないと思った。今日も俺は瓶に死を拾い集める。明日もきっと拾い集めることだろう。死の標本だ。

 自分にもいつか訪れるであろう死というものは、身近すぎて見えないだけなのかもしれない。俺はそれを捉えられる日まで、髪の毛を拾い集める。