前日譚「自分の気持ちで」
大学が終わって、一人電車に揺られて帰る。明かりの灯り始めた町が、窓の向こうを通り過ぎていく。一人で帰る暗いひんやりした部屋のことを考えながら、なんだかなあと思わずにはいられない。
大学の勉強は面白いし、友だちもたくさんいる。彼女は今はいないけど、これまでに二人いた。だけど告白されてなんとなくオッケーして、なんとなく一緒にいて、なんとなくフられてしまった。
しかもどっちも理由が同じ。
曰く、「昌磨くんは誰にでも優しくて明るくて、いっしょにいて楽しいけど、それだけ。誰にでも平等で、つまんない」だそうだ。
確かに俺は、誰かに入れ込んだり、特別に思ったりしたことがない気がする。嫌いな人はいないけど、好きな人もいない。
自分の気持ちの70パーセントまでしか使ってないような感じだ。
誰かのことを好きになるってどんな気持ちなんだろうと、思春期の中学生みたいなことを考えている自分に気づいて、ため息が漏れた。
窓枠に頬杖をついて外を眺めていたら、人気のない車内に声が響いた。
「絶対おかしいだろ! だってお前悪くないじゃん!」
乗客の視線が、チラリとそちらに動く。俺も目をやると、スーツを着た背の低い男の子が、すみませんと頭を下げていた。
「声でかいんだって」
「声もでかくなるわ、だってそれって、園田に責任押し付けて自分だけ言い逃れしてんじゃん。上司のやることかよ!」
男の子は憤懣やるかたないという風に、腕を組んで鼻から息を吐きだした。しかし一緒にいるスーツの優男は、「そうだよなあ」と他人事のような顔をしている。
「あのなあ、お前がそうやって涼しい顔してるから、俺が怒ってるんだぞ」
「なんだそりゃ、どういう理屈だよ」
「俺は園田のかわりに怒ってんの。大学の時だってお前は――」
年下かと思ったけど、大学を卒業した社会人みたいだ。彼はそのあと、ぷりぷりと怒りながらしゃべり続けて、相手の優男は聞き役に徹している。
やがて最寄り駅について、俺は席を立った。ドアが開くのを待っていると、「はいはい、ありがとな」と優男が彼の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回す。
「ほら、駅ついたぞ」
「あ、ほんとだ。じゃあまた明日な!」
そう言って彼は、俺より先にドアを飛び出していった。
降りる駅、同じなのか。
彼のことをちょっとだけ記憶に残して、俺は一人で家路についた。
それから何度か、彼と同じ電車に乗ることがあった。
彼はよく園田と呼ばれていた優男と一緒で、笑ったり、怒ったり、実に感情豊かだった。一人の時でさえ、スマホをいじりながら表情を変えている。
そして気づいたら俺は、電車に乗るときに彼がいっしょじゃないか、探してしまうようになっていた。
だって、なんだかいいなあと思ったのだ。
誰かのために怒ったり、楽しくて笑ったり、感情豊かな彼は、見ているだけで面白かった。もっと見ていたいと、感じてしまうくらいには。
だからあの日、彼に声をかけたのは、偶然なんかじゃないのだ。
俺が、初めて自分自身の強い気持ちで、動いた瞬間だった。
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本日0時から発売する「幸せの明かり」の、前日譚でした。
彼らがどんな風に出会って、どんな風に仲を深めていくのかが気になる方は、ぜひ本編をお楽しみに!