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昼休みの音楽会

 二人きりになると、「なんか弾いて」とおねだりする。そうすると成太はだいたい楽しくて盛り上がるような曲を弾いてくれるんだけど、それはあんまり好きじゃない。だから一度止めて「お前が弾きたいのを弾いて」と言うと、成太はようやくその時弾きたいものを弾きだす。

 だいたい短調で、ゆっくりした物悲しい曲だったり何かを叫ぶように激しい曲だったり。小柄な体をめいっぱい使って全身で弾く。俺はそれが好きだ。絶対に本音なんて言わないアイツが、音楽でだけは本音でしゃべってくれてる気がして好きだ。

 

 だから弾き終わったあと、「ありがと、すっげーよかった」と後ろから首元に抱き着くと、アイツはムスッとして「こんなのいいわけないじゃん」っていう。

 でも口の端っこがちょっとだけ持ち上がってるのを俺は見逃さない。素直になればいいのにって思うけど、周りが成太にいろんなことを強要してきた結果なんだから、難しいんだろうなとも思う。それに俺は、素直じゃない成太のことが割と好きだ。

 

 成太のことを知ったのは合唱コンクールの時だ。うちの高校は有志で合唱コンクールに出場するんだけど、母さんに「アンタはバカなんだからせめてこういうのに参加してやる気ありますアピールしときなさい!」と半ば無理やり参加させられた。正直めんどくさかったけど歌は嫌いじゃないし、逆らうと後がめんどうなので仕方なく参加した。

 そしたらそこで伴奏のためにピアノ弾いてたのが成太だった。ほかの参加者は女子ばっかりで男子は肩身が狭くて、それでも男同士でなんとなく固まってたのにアイツだけは女子にも男子にも属さずいつも一人ぼっちだった。初めは人付き合いが好きじゃないのかと思って放っておいたんだけど、たまたま昼休みの音楽室に忘れ物を取りに行ったとき、成太がピアノにむかって遮二無二なにかを弾いてるのを聞いてびっくりした。

 

 すごかった。音楽ってこんなに胸に訴えかけてくるものなんだって初めて知った。

 成太は俺が入ってきたことにも気づかずピアノに夢中になっているから、バカみたいに突っ立って最後まで聞いた。曲が終わったときなんて言っていいかわからなくて、でも何か言わなくちゃって焦って思わず話しかけていた。

 

「なに、今の曲。すっごいよかった」

「は!? お前いつから……ていうか何言ってんのいいわけないじゃん、こんな適当に弾いて」

「よかったよ、いつもの伴奏よりずっとよかった。なんか自分の気持ち叫んでるみたいで」

「バカじゃないの。ほんと適当に弾いてただけだから、誰にも言うなよ」

「わかった、言わない。そのかわり明日からも俺ここきていい?」

「ダメ」

「じゃあ今日見たことバラす。こいつほんとはがっつんがっつんピアノ弾くのが大好きなオナシスト野郎なんですって広める」

「なんだよオナシストって」

「オナニーとナルシスト。こんなの広がったら最悪だろ? 黙っとくからさあ、明日もきていいよな? な?」

「……勝手にすれば」

「やった! ていうかお前名前なに?」

「はぁ……成太だよ」

「そっか、せーたか! じゃあまた明日」

 

 なんだかこのチャンスを逃しちゃダメな気がして、超強引に許可をもらった。初対面(一応合唱コンクールの練習で顔はあわせてるけど)でこんな脅しまがいのことされて、正直なんなんだこいつって思われてた気がするけど、その時の俺は明日もあいつのピアノが聞けるって浮かれてた。

 それで次の日、音楽室にいったら「ほんとにきたの」ってめんどくさそうな顔した成太がいた。

 

「きた! だからまたなんか弾いて」

「はぁ、めんどくさ……」

 

 そう言いながら成太が弾き始めたのは「ネコ踏んじゃった」だった。何か仕込んであるのかと思って聞いてたら、普通に終わった。

 

「え、なに、これで終わり?」

「終わりだけど」

「昨日みたいなの弾いてくれよ~」

「やだ」

「なんで」

「ああいうのは人に聞かせるものじゃないんだって」

「ああいうのってなに」

「ああいうのはああいうのだよ」

「わかんねえ。いーじゃーん! せーたー!」

 

 そう言いながら後ろからくっついて揺さぶったら、アイツは急に赤くなって「うわ、ちょ、くっつくなって、マジで、やめろ!」って慌てだした。

 

「お前がほんとに弾きたいものを弾いてくれるなら、やめる」

「…………」

「な?」

 

 ちょっとだけ甘えるように首に回した腕に力をこめてみた。子供のころ母さんを百発百中で落とした技だ。同性に聞くか自信はなかったけど、成太は「はぁ、しょうがないな……」と観念したみたいだ。俺の勝ち!

 

 それで弾きだした曲は、おどろおどろしいようなそれでいて悲しいような、不思議な曲だった。だけどそれを弾いている間の成太の顔は真剣そのもので、その横顔がやけにかっこよくて、俺は見とれてしまった。

 そして同時にちょっとだけ悔しかった。横で聞いているだけで、成太が今までどれだけピアノに時間を費やしてきたのかも、音楽を愛しているのかもわかってしまったから。俺にはそんな風に自分を捧げるほど好きなものなんてなくて、だからより一層成太のピアノに「なんかすごい」って感動したんだと思う。

 それから、昼休みはなんとなく音楽室で過ごすようになった。先生は成太がピアノを弾くのを黙認していて、俺はそのおこぼれにあずかって毎日成太のピアノを聞く。音楽のことはよくわからなかったけど、その時間はなんだかとてもいいものだった。

 

 だけど合唱コンクールが終わってしばらくした頃、成太のピアノが途中で止まるようになった。弾いていても違和感があるのか、しょっちゅう首をひねっているし、俺にもなんだか成太がノっていないのがわかった。

 

「なんかあったのかよ」

「別に、なにも」

 

 ぶっきらぼうな言い方にも、いつもみたいなキレがない。どう聞いても何かあった感じだ。

 

「話したくないなら話さなくていいけど、話す気になったらいつでも言ってくれよ。聞くから。俺音楽のことはよくわからないけど、今の成太が楽しそうじゃないことはわかるよ」

 

 そう言うと、成太は一瞬泣きそうな顔になった。俺がびっくりして肩を掴もうとすると、ばっと振り返って音楽室から出て行ってしまった。

 俺はさっきまで成太が座っていたピアノの鍵盤の上に、指をポトンと落としてみる。情けない音が、一人ぼっちの音楽室に響いた。

 

 それから丸一週間、成太は音楽室にこなかった。だけど俺は音楽室で待ち続けた。成太が話す気になったときに俺がいなかったら、きっとすごくさみしい気持ちになるだろうと思ったから。考えてみれば自惚れた話だけど、その時はほんとにそう思ってた。

 そして次の週の水曜日、いつものように音楽室に行ったらピアノの上にメモが置いてあった。メモには「放課後ここで」とだけ書いてあった。

 

「俺転校するんだよね。だからここでの生活はこれで終わり。お前にもたぶんもう会うことはない」

 

 放課後音楽室にいったら、成太がいきなりそう切り出した。

 

「うちってバリバリの音楽一家でさ、特に母親が超スパルタなの。アンタはアレを弾きなさい、これを弾きなさい、こういうときはこれを弾くの、このコンクールではアレを弾くの……俺の弾きたい曲を聞かれたことなんて一度もなかった。父親がさすがにかわいそうだと思ったのか高校は普通科を受験させてくれて、学校にいる間だけ自由になれた。自分でいうのもなんだけど、俺めっちゃいい子なんだよね。母親に逆らったことなんてないし。でもさすがにそればっかりだと気が滅入るから、ここでストレス解消してたってわけ」

 

 急に始まった自分語りを、俺は相槌を打ちながら聞く。

 

「そしたらある日急にお前が入ってきて、『ほんとに弾きたいものを弾け』なんていうもんだから面食らって、なんとなくいつも憂さ晴らしに弾いてる曲を弾いてみたらお前が楽しそうにするもんだから、なんとなくやめるタイミングを切り出せなくて……でもそれももうおしまいなんだ。一家丸ごと海外に引っ越すから、お前とはここでさよならだ」

「え、なんで?」

「え?」

 

 成太の話を最後まで聞いて、俺は結論がぜんぜん意味わかんなくて思わず聞き返してしまった。

 

「別に引っ越しても人間関係って終わらないじゃん。今どき電話もメールもLINEもTwitterFacebookもなんでもあるし。続けたいって思ったら続けられるのが人間関係じゃん」

「いや、でも、俺携帯とか母親に管理されてるし……」

「うっわ、マジで!? ありえねー、箱入り息子って感じ。いいか、そういうときはなあ」

「そういうときは?」

「隠れて携帯使うんだよ! 俺なんてスマホにエロい動画とかいっぱい保存してあるけど、母さんに見つかったことなんか一度もないぞ! だいたいおばさんなんかスマホの扱いについていけてないんだから、ちょっと隠せば見つかりっこないって。ていうか携帯管理されてるとかマジありえねー、いつまでそれ続けるつもりなんだよ」

 

 俺はひええと自分の体を抱きしめて見せる。成太はそんなこと思いもよらなかったって顔だ。どんだけ親に縛られて生きてきたんだよ。

 

「俺たちはまだ子どもで、親のところから離れられないけど、だからって何もかも親の言いなりになってたら一人になったとき苦労するんだぞ。それに俺たちは自分のことは自分で決められるんだ。ここで終わりなんてことない、だって成太と俺は友だちなんだから!」

 

 そこまで言い切って胸を張ると、成太は小さな声で笑い始めて、それからだんだん大きな声になって、最後には大笑いしだしだ。

 

「あっはははははは! そうだ、確かにそうだ! 母さんなんて知ったこっちゃないよね、友だちまで決められる覚えないし! 自分のことは自分で決められる、か――確かにその通りだ」

「そうそう、だからいつもみたいに成太が弾きたい曲を聞かせてくれよ。もしかしていつか引っ越すのわかってたから、今まで仏頂面で『友だちにはなりませーん』みたいな顔してたのか? それならもうそれもやめやめ! だって俺たちもう友だちになっちゃったんだもん」

「なっちゃったか、そうか。そりゃしょうがないな。よーし、いっちょ弾くか!」

 

 そう言って成太はピアノの前に座った。俺はいつものように、その近くの床に座って成太の横顔を見上げる。

 成太が弾きだした曲は、初めは暗くて重たかった。だんだん激しくなっていて、最後には突き抜けて一気に明るくなった。俺が楽しくなってきて立ち上がって手拍子をすると、成太がびっくりしたような顔をしたあと、にやっと笑って続きを弾く。そうして俺たちは、疲れ切るまでめちゃくちゃな音楽に没頭した。

 

 弾き終わって、二人して音楽室の床に寝転んで天井を見上げる。

 

「はぁ~、楽しかった」

「成太が楽しかったなんて言うの初めて聞いた」

「当たり前だろ、初めて言ったもん」

 

 そう言って笑う成太を見て、俺は無性にうれしくなって抱き着いた。

 

「ぎゃーっ! くっつくな!」

「いいじゃん、俺なんかうれしくってさー。それに成太ってちっちゃくてかわいがりがいがあるというか……」

 

 そう言って頭をわしゃわしゃすると、成太はなぜか真っ赤になって無理やり俺の腕から抜け出した。

 

「そ、そ、そういうのはほら、もっと大人になってからだから!」

「お前なに言ってんの」

「うっさいな、ほら、メアド交換するぞ! お前の方からメール送ってこなかったら怒るからな!」

「成太くん、今どきの若者はメールよりもLINEを使うのですよ」

「そうかよ! そんじゃLINEで! ……ところでLINEってなに?」

「……マジ?」

 

 それからひとしきり騒いで、成太と俺は家路についた。

 その日の夜は生まれて初めてってくらい夜更かしした。本人に言ったら絶対認めないだろうけど、成太がはしゃいでいつまでもLINEを送ってくるから。そんで俺も、既読がつくまで落ち着かなくて寝れそうもなかったから。

 

 次の日、小さな変化があった。俺が何も言わなくても成太が自分の弾きたい曲を弾きだしたことだ。

 成太は海外に行く、俺は日本で適当に学生を続ける。道は別れるけど、いつかきっとまた成太とは会うだろうと思う。その時俺たちの関係がどうなるのかはわからないけど、こうしてまた成太の音楽を聞けたらいいなと思う。

 

「成太が頑張ってるの、俺ちゃんと見てるからな」

 

 そう言うと、成太が笑った。

 

「当たり前だ、ちゃんと見とけよ」