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パーティーに僧侶がいない

 久しぶりに書きたいことができたのでブログを開いたら、前回の更新が半年以上前だった上に前編で終わっていることに愕然とした。ていうかもう冬だ、あと一ヶ月と半月で今年が終わる!

 思わず「昔はもっと季節が過ぎゆく速度が遅く思えていたのに」と口ずさんでしまったことだよ。

 

 なんとなくブログを更新しなくなったのは、自分ルールに疲れてしまったからだ。

 ブログを始めて何年か経つが、書くうちに「何文字以上書く」だとか「テーマを決めて書く」だとか、よくわからないことを気にするようになってしまった。

 趣味で書いているのだからもっと適当にやればいいのに、細かいことを気にして書くこと自体がしんどくなっていたのだ。

 

 考えてみれば、これまでの人生で私はずっと他者からの評価を気にし続けていたように思う。なにも昔に限った話ではなく、今この瞬間だってそうだ。

 一人っ子の私は親の愛と期待を一身に注がれ、無意識にそれに応えなくてはとずっと無理をしていた。親がおいしいものを食べさせてくれたり、欲しいものを買ってくれたり。「これだけしてくれているんだから自分は親の期待に見合う子にならないといけない」と思ってしまうのも、無理もないことだ。

 

 そして私の親が期待していたのは、「普通であること」だ。そこそこの成績、そこそこの友人、そこそこの人生。過度に期待されていたわけではないし、無理難題をふっかけられたこともない。

 しいて言うなら親にとっての「普通」は「平均より少し上」だったらしく、私はいつも頑張らなきゃとやけに気を張っていたような気がするが、まあそれくらいだ。

 

 そしてやはり親が気にするのは、学校での成績だろう。目に見える数字はなにより雄弁というわけである。

 ところが学校の成績だって教師が決めるものだ。テストの点数、提出物の有無、日ごろの態度。私が気にするものは「親の視線」から「教師など他人の視線」へとシフトしていった。

 

 そうして高校生までを過ごし、大学に入った私。これまで通りに講義に出席し、テストがあるならテストを、論文を書けと言われれば論文を書いた。

 誰かに評価されることに慣れ切って、すっかり他人中心人間の出来上がりだ。

 

 まるで呪いのようだと思う。

 よく三つ子の魂百までと言うけれど、子どものころからの習慣はなかなか自分では気づけないものだし、気づいたところでなおしがたい。

 自分で自分にかけてしまったこの呪いは、解こうと思って解けるものでもないようだ。

 

 空気を読むのは大事だけど、そればかり考えていては自分を見失ってしまう。それどころか、「自分の言いたいことってなんだっけ?」と意見が消えてしまう有様だ。

 そうして毒にも薬にもならない、つまらない空気のような人間が出来上がるわけだ。

 

 というわけで、人間ってもっと自分勝手に、自由に生きてもいいよねと思う次第である。そのほうがみんないろいろ個性が出て楽しいだろう。

 もちろん「自分勝手」と「自由」は違うし、その辺の線引きは難しいところだけれど、一人ひとりがもっと自由になれば他人への許容度もあがってくるのではないかと期待する。

 

 金子みすゞじゃないけれど、みんな違ってみんないいのだ。だいたいみんなが同じ方向むいて同じこと言ってる世界なんか気持ち悪すぎる。そんな世界はつまらないのだ。

 もっと他人の在り方に対して「よそはよそ!」と思える世の中を築いて欲しいものである。

 

 そうしていろんな在り方が当たり前になれば、きっと世の中の男子たちも同性に感じるかすかな胸のざわめきなどに素直になれると思うのだ。

 確かに「男が好きなんてなんだか変かも、俺どうしちゃったのかな……」という王道な戸惑いは素晴らしい、ほんとうに素晴らしいものだが、そういうのなしに「お前のことが好きになっちゃったんだ!」って叫べる世の中であってほしいとも思う。

 

 ていうか思春期の男子が同い年の男の子のナニとは言わない成長度合いが気になったり、オトナな世界に興味津々で男友達と扉を開いてしまったりとか仕方なくないですか!?

 年頃の男の子たちがそういうことに興味を持ってしまうのは必然であり、それをさも悪いことのように言う風潮は私、どうかと思います。

 

 同性を好きになってなにを悪いことがあろうか。人の心は自由で、どこまでも広がっていけるものなのだ。それを無理やり枠に押し込んで、わざわざ窮屈な生き方をする意味などない。

 そう、今こそ私たちはよくわからない既成の概念を打ち破り、ラブを声高らかに叫ぶべきなのである!!

 

 ところで私にかけられた男の子が気になって仕方ない呪いは誰が解いてくれるのだろうか。このままでは思考が男色に侵食され、日常生活もままならぬ。

 「人目を気にしてしまう呪い」と「思考を男色に侵食される呪い」、危険度が高いのはどっちなのかと首をひねる冬の始まりであった。