カボチャの馬車で迎えて

 人間の最大の矛盾は、小腹がすいたときにお菓子を食べたいけどそれをすると晩ごはんが入らなくなるところにあると思う。

 空腹は最高のスパイス。耐えることでおいしく晩ごはんが食べられると思う一方で、お腹がすいたからちょっとなにかつまんでもと誘惑に負けそうな自分。葛藤という言葉を体現している。

 

 ちなみに最近のお気に入りメニューはかぼちゃの煮物だ。砂糖とめんつゆを入れてちょちょいと煮れば、ほおばると優しい甘みが口のなかでほどける絶品煮物が完成する。

 この料理のなにがいいって、簡単にできるところだ。かぼちゃを切って材料いれて煮るだけ。世の中の忙しいママさんたちにもオススメしたい一品である。

 料理はいいぞ。野菜や肉を切っている間の無心な時間は、心をいやしてくれると思う。人間はなにかに集中することによっていやしを得るのではなかろうか。

 考えてみれば、学生時代に勉強を一生懸命したあとってなんだか晴れやかな気分になっていたものだ。瞑想に近いのかもしれない。

 

 私は一人暮らしなので自分の食べたい分だけ料理をして、自分が食べたいように食べるが、世のママさんたちはほんとうに大変だと思う。男女平等が叫ばれて久しい世の中だが、料理をする旦那さんなんて稀だろう。もしも「いや、オレは料理をしているぞ!」という旦那さんがいれば教えてほしい。謹んで謝罪いたします。

 結婚すればなんとなく夕飯は自分の仕事、子どもができればなおさらだ。家族が三人や四人いれば作り置きも難しいだろうし、毎日のように料理をしなければいけない。

 料理って実は結構な重労働だ。メニューを考えて買い物に行って、切ったり焼いたりして洗い物をして……それを毎日続けるのはほんとうに大変なことだ。

 

 しかも子どもときたら「これ好きじゃない!」だの「○○がよかったのに~」だの文句をつけてくる。旦那は「ごめん外で食べてきたから今日はいいや」なんて帰ってきてから言う始末。

 それならそれで早く言いやがれてやんでぃちくしょうめぃと、機嫌も悪くなろうというものである。

 

 それでも家族のことが大切なら、なんとなく続けられるものなのだろうか。それとも単純に習慣になってしまえば、それほど大変でもないだろうか。

 外から見ていると家事って面倒な仕事だけれど、当事者であるママさんたちは案外なんとも思っていないのかもしれない。人間は惰性と習慣の生き物らしいので、勢いづいてしまえばそのままダラダラやり続けるほうが楽なのかも。

 

 どうだろうな。私料理は好きだけど、好きな人のためでも毎日のように料理するのはちょっと面倒だ。

 というか自分のためでも面倒なので、「今日はかぼちゃだけ煮て、おかずは惣菜」なんてよくある。冷蔵庫の中でシンシンと冷えていく野菜たちに申しわけがたたない。

 

 そんなことをつらつら考えながら買い物していたら、ジャージ姿でラケットらしきものを背負った男子二人組が精肉コーナーの前で腕組みをしていた。なにやら話し込んでいる。

 

「でもさあ、まとめて買って帰っても結局悪くすること多いじゃん」

「そうだけど、まとめて買ったほうが得だし家にあったら料理するくね?」

「しねーな。めんどくささが勝つ」

「もっと肉を大事にしよう?」

「肉は大事だけど自分も大事だろ!」

「いいこと言ってるっぽいけど、結局コンビニ飯なら自分も肉も大事にしてねーじゃねーか」

 

 それで決着がついたのか、二人は肉を3パックぐらいカゴに放り込んでレジへ。生活感があふれまくっててなんだか親近感だ。

 ていうかなんで彼らは二人で買い物に?しかも二人で肉まとめ買いしたということは、頻繁に晩ごはんを一緒に食べる仲?もしかして同棲?

 いやいや、そんな都合がいいこと(主に私にとって)があるわけがない。なにを夢みているのだ私は。

 

「今日は晩飯ハンバーグな」

「肉こねるのは好きー」

「ほんと子どもみてえ」

 

 片方が呆れたように笑い、もう片方は買い物袋を受け取っている。

 

 はい同棲~~~これはもう完全に二人で暮らしてるやつ~~~。

 なんなんだ、二人で買い物にきてハンバーグってお前、それ…幸せな家族か!今夜はハッピーテーブルを二人で囲むのかよ!

 もうダメだ、片方が玉ねぎをきったりしている後ろで肉をこねている姿が見える。それで二人でハンバーグ作りっこして「お前のカタチわる!」「うっせーなー、焼けばいっしょだろ」「そうだけど自分のデカくつくるのはなしな」「いやそんなことしないから」「今ちょっと肉戻しただろ」なんてやり取りしているに違いない。あいつらはホモだ。

 二人でおいしく晩ごはんを食べたあとは、「今日は洗い物してやるよ」「えっらそうに。頼むわ」「あいよ」なんて言いながら洗い物して、戻ってきたらこたつでそいつが気持ちよさそうに寝てるのを見てほほ笑むんだ。そっとテレビの音量を下げて温かな部屋の中で幸せをかみしめるんだ。

 

 自分の中の"幸せな家族像"に疑問をいだきながらも感動の涙を流して二人に拍手を送り、私は会計をすませて帰った。いいもの見たなあ、私もいつか誰かと幸せを分かち合える日がくるのだろうか。

 道行く男子を勝手にホモに仕立て上げているうちはこないのではという疑いが濃厚だが、それをやめたら私が私でなくなるので無理だ。ここまで含めて愛してほしいなんて、私、ワガママかなあ?

 

 そして家に帰ってから気づいた。どうやら私は肝心のカボチャを買い忘れたようだ。

 日常生活に支障をきたしているしもはや病気かもしれない。不治の病なので死ぬまで看病してくれる人を募集しよう。