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親の心子知らず

日常

 遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

 毎年思うことだが、この挨拶はいつごろまでしていいんだろうか。まだ一月なので問題ないということにしておこう。

 年が変わったというのに私はあいかわらずボケナスで、やらかすばかりの毎日だ。

 今年初やらかしは、年始に父方の実家へ帰省したときにおこった。

 私はひさびさに車を運転させられ、高速道路の下り坂でスピードが出すぎて悲鳴をあげたりして、疲れ果てて実家にたどり着いた。

 祖母はいつものようにおいしいご飯(今年はいい牛肉があたったらしく、肉巻きを作ってくれていた)で迎えてくれた。

 夕飯を食べ終わるころに祖父が風呂をいれてくれたので、ありがたくお湯につかる。ふいーやれやれ、疲れが溶け出していくようじゃわい。

 腹は満たされ身体は温まり、いい気分でそのまま布団に倒れ込む。

 うとうとしながら枕もとの荷物を見たときに、ふと違和感がよぎった。はて、何かを忘れているような……?

 あっ!お母さんに頼まれていたお金忘れた!

 眠気もぶっ飛び、あわてて着替えをつめたスポーツバックをひっくり返す。ない。

 もしかしたらと一縷の望みをかけて、肩にかける小さなバックもひっくり返す。やはりない。

 実は私は帰省する前に、「いつもお世話になっているから、これを渡しておいて。お年玉のかわり」と、祖父母へ渡すお金を預けられていたのだった。

 あああ、間違いなく怒られる……なんてこったい……。

 しばし呆然と座り込むが、ないものはない。ついでに言えば、立て替えるためのお金も手元にはない。

 仕方がないので父に相談してみるが、「えっ」とイヤそうな顔をした後、そそくさと二階にあがっていった。ちっ、使えない。

 しばらくうんうん唸ってみたが、どうしようもないので寝ることにした。

 明日の朝になったらカバンの底から封筒でてこないかな、おやすみなさい。

 出てきませんでした。

 頭を抱えながら朝食を食べる。献立はちりめんの乗った大根おろしに、卵焼き。それからにんじんの入ったお味噌汁。

 祖母の作る朝ごはんは私が小学生のころから変わらないので、これを食べるたびに「ああ帰ってきたなあ」としみじみ感じる。

 いつもは苦手な朝も、実家だと起きられるから不思議だ。

 午前中はダラダラと過ごし、午後は初詣に向かう。

 神様に何を願ったかは秘密だが、「ボケナスがマシになりますように」というのが入っていたのは言うまでもないだろう。

 そして初詣からの帰り道、父親はちょいちょいと私を呼んだ。

 「なに」

 「あんたお金忘れたんやろ」

 「うん」

 「貯金いくらあるん」

 「○○円くらい」

 「じゃああんたそれおろしておばあちゃんに渡して、差額はお年玉ってことで受け取りねえ」

 確かに妙案だ。貯金は預けられたお金よりちょっと少なかったが、それなら問題ない。

 さっそくコンビニに向かってお金を下ろす。これで当面の問題は解決だ。

 その日は「服を見たい」という父について、商店街やら小さな百貨店やらを見て過ごす。

 なにしろ祖父母宅があるのは小さな街なので、どの店もこぢんまりとしている。建物は全体的に背が低く、道行く人ものんびりだ。

 付き添いのつもりだったのだがマフラーが欲しかったのを思い出して、父親そっちのけで店内を物色する。

 安い。が、しかし、実用性重視のもっさりしたデザインが多い。うーん、もうちょっとシュッとしてるのが欲しいんだよなあ。首の周りがわさわさするのは好きじゃないのだ。

 そのうちいいものを見つけたので、鏡の前でつけてみる。ああ、せっかくオシャレなマフラーも、私の顔の下じゃなんだか色あせて見えるわ……。

 微妙にしょげていると、祖母が「あんたそれが欲しいん」と聞いてきた。上の空で「まあね」と答える。

 「じゃあ買うたげるわ」

 そう言うとごそごそと財布を出す祖母。

 「えっ、そんな悪いって!」

 「ええんよ。普段お金使うこともないし、たまにくる孫にちょっと買い物するくらいは」

 そう言ってお金を渡される。ありがたく頂戴して、そのマフラーを買った。

 その場でタグを切って、首に巻く。

 「似合う?」

 「似合っとる」

 「ありがとう」

 思わぬプレゼントに、ほっこりと心があたたかくなる。

 それと同時に、息子と孫が帰ってる盆と正月を楽しみにしてくれる二人は、それ以外の時間をどう過ごしているのだろうかと気になった。

 今まで気にもしていなかったが、きっと孫の私が帰る日は祖父母にとってハレの日なのだろう。

 考えてみれば、父方の祖父母も、母方の祖母(祖父はすでに亡くなっている)も、私と会うときはいつでも笑顔だ。母方の祖母なんて、ちょっと私が優しくするだけで涙ぐんだりする。

 自分で言うのもなんだが、私は愛されているのだろう。

 私はゲイで、きっと子どもを持つことがないから、彼らの気持ちが分かる日はこないのだろうと思うと切ない。

 ゲイじゃなくとも彼女の一人も作れなかっただろうし、どっちにしろ同じかもしれないけど。

 ひ孫の顔を見せられないぶん、これからはなるべくちょいちょい帰って顔を見せようと思った。

 死ぬときに「もっと息子や娘、孫と話したかった」なんて言われてしまったらたまらない。

 そういえばどこでだったか、こんな話を聞いたことがある。

 はやくに離婚して女手一つで母が育ててくれて、それに報いようと勉強を頑張った娘。

 難しい大学にはいり、忙しくてたくさん給料がもらえる仕事についた彼女は、母と会う時間がなかなか持てなかった。

 それでもたまの休みに帰って年老いた母に会えば、「あんたは私のことなんか気にせず、しっかり働いていい男見つけて結婚するんよ」なんて、追い返されるような始末だったらしい。

 自分を背負わせまいと踏ん張る母なりの気遣いに、娘のほうでも甘えて話す機会は少なかった。

 そしてある日、母は娘のいないところで逝ってしまった。

 数日後。娘は葬儀のために、母の遺品を片付けていた。

 するとその中に手帳が入っていたそうだ。

 手帳の裏表紙には、母の字でメッセージが残されていた。

 生まれ変わっても、またあなたのお母さんになりたい。

 今度はいっぱいお話しましょうね。

 血が繋がっているから大切、なんてことを言うつもりはないが、自分を大切に思ってくれている誰かの気持ちには気づける自分でありたいなと、この話を聞いて思った。

 世の中に居るのは、いい人間ばかりではない。

 嘘をつく人、利用する人、傷つける人。そういう人たちを目の当たりにして、目の前が真っ暗になってしまう日がある。

 だけどそんなとき、今まで自分を大事にしてくれて、自分も大事にしている人たちのことを思い出せれば、なんとか顔を上げることができるかもしれない。

 愛というのは大げさだけど、これも一つの愛だろう。

 なんだか新年から大げさな話をしてしまったけど、今回の話のまとめはこうだ。

 「お金を忘れないようにしましょう」

 「自分を大事に思っている人、自分にとって大事な人を忘れないようにしましょう」

 それではみなさん、今年もよろしくおねがいします。