ノーパン沼は深い
雨が降ったりやんだり。なんだかじめじめしていたり。天気がとっても不安定だ。
「パンツがないよ!このまま洗濯できなかったらノーパンだよ!」ってこの間騒いだけど、出かける予定がなかった日、けっきょく丸ごとノーパンで過ごしました。
あまりくわしい感想を書くと、私が変態であることがバレてしまうので、一言だけ。
隠しているのに解放されている感じ、プライスレス。
こんなにアホらしいことを書くなんて、湿気で脳内がカビてしまったに違いない。友人から「霞はいつもそんなもんだよ」といわれるけど、間違いない。これはカビのせいだ。
だから私が、ノーパン生活に心のどこかで「いいかも」と思ってしまったのも、カビのせいだ。カビが悪い。カビは人類の敵だ。脳みそまで侵すのだ。
カビに罪をなすりつけ終わったので、本題に入ろう。と思ったけど、本題がなんだったか忘れた。
おかしいなあ。ノーパンに思考の八割を持っていかれて、三十分くらいぼけーっとしてたなんてこともないんだけどなあ。ないったらないんだけどなあ。
でもやっぱりノーパンは素晴らしいよ。ズボンの下にパンツを履いてない男の子が隣に座っているかもって考えただけで、私は心躍るよ。
そうだ、思いついた。
今の世の中には執事カフェ(メイドカフェの男版?)とかあるらしいし、ノーパンカフェも作ればいいのだ。
そのカフェの従業員は当然ノーパンだ。制服は店から支給され、クリーニングなども全て店側がやってくれる。
ただスーツとかってだけだと味気ない。ここは一つ店側が様々な衣装を提供すべきだろう。ブレザーとか、学ランとか、普段着っぽい服とか、ジャージとか。
髪型の規定などは特に無い。マジメな黒髪の男性がスーツの下にノーパンで働くのもいいし、金髪の不良っぽい青年がノーパン学ランで働くのもいいだろう。
客は店員がノーパンであるということを織り込み済みで、その臀部や、ときおり強調されてしまう部位に注目しつつ食事をしたり、一服したりするのだ。
何を食べ、何を飲んだんだかわからなくなること請合いだ。おいしい料理を出す必要がないので、材料費を抑えることができるだろう。
ただそれだけだと味気ないので、時には男性スタッフ……いや、キャストと呼ぼう。なんでも某テーマパークでは、雰囲気を作ってくれるスタッフたちをキャストと呼ぶらしいからな。
男性キャストたちは朝指示をされるのだ。「Aの股間にタッチ」だとか、「○○時から○○時の間は腰パン。ことあるごとに屈む」とか。
下着をつけていない状態で、ズボンの上から突然触られたら、男なら誰だって「ひゃっ!」てなる。その「ひゃっ!」をお客さんには楽しんでもらう。
腰パンは言わずもがな。屈んだときに見える割れ目を存分に堪能していただこう。
サービス精神旺盛なキャストなら、ズボンの位置を直すフリをして腰骨を見せ付けてくれたりするだろう。ぐひひ、たまらん。
雨が多くてイヤですね、って話をしようと思っていたはずなのに、気がついたらピンク色の思考が駄々漏れだ。もう年末だというのに、この上煩悩を増やしてどうするというのだろう。
そもそも「人間の煩悩が百八つ」って、一体誰が決めたのだ。間違いなくそんなもんじゃ足りないぞ。
あ、でも私の煩悩丸ごと色欲カテゴリにまとめてしまえば、一突きで事足りるのか。我が脳内の花園は、一撃で吹き散らされることであろう。
でもそんなのってないよ。現実に華を持ってないのに、この上脳内の花まで散らさなくてもいいじゃないか。
違うんだって、私の脳内花畑なんかどうでもいいんだ(吹き散らされたって何度でも私は花を咲かす。現代の花咲じじいになってみせる。脳内だけど)。
今日しようと思っていたのは、雨の話だ。
雨の思い出として、いつも思い出すことがある。
高校生だったころに、冷たい雨が降る中をずぶ濡れになって帰ったことだ。
私は傘を盗まれたのだ。今思い返してもはらわたが煮えくり返る。
その日私は、いつも使っていた傘を親の車に置き去りにしてしまって、仕方なくビニール傘で登校した。雨は授業を受けている間に強まり、帰るころには土砂降りになっていた。
私はもともと雨降りの登下校が好きじゃなかったので、憂鬱な気分になりながら靴箱に向かう。
そして傘立てを探した。
朝さしたはずの場所に、傘はなかった。
思わず「は?」って言ったね。探して探して、それでも見つからなくって、「マジで?」って言ったね。
高校生にもなって、しかも私が通っていた学校はそれなりの進学校だったはずなのに、傘を盗む人間がいるとは信じられなかったのだ。
だって傘を持っていないのは、持ってこなかった自分が悪いだろ!どう考えても!
なのになぜ、何も悪くない他人の傘を盗もうと考えるのか。犯罪だ、それは。
傘を盗めば、その持ち主は傘がなくなって濡れることになるという簡単なことに、犯人が気づいていないとは考えがたい。
つまり彼(もしくは彼女)の中では、「自分が濡れること」>「知らない他人が傘を奪われて濡れること」なのだ。
ありえるか?
私は傘を盗られたということよりも、そういう考え方をする人間がいる事実にショックを受けた。鳴ってないはずの雷鳴が鳴った気がするほどの衝撃だ。
「傘がないなら他人のを盗めばいいじゃない」って、マリー・アントワネットだってびっくりだろう。
見知らぬ誰かなら傷つけてもいい、自分には関係ない、自分がよければそれでいい。
そういう茫漠として悪意を向けられて、私はものすごく怒ったのだ。だってそんなのあまりにも勝手すぎるじゃないか。
傘を忘れれば大人しく濡れて帰る。無関係の他人に尻拭いをさせない。
当然です!
とはいえ私も大人になってので、当時のように「犯人を見つけたら、傘の取っ手を股間に引っ掛けてぶら下げてやる」とはもう思っていません。
当時は思っていたのかって?思っていました。本気で。不能にならずに済んだことを神に感謝するがいい、犯人め。
今はノーパンカフェがオープンしたら、そのオープニングスタッフとして身を粉にしてもらう計画を立てています。顔が悪かったら雑用です。
顔がよかったら?そりゃあもう私専属ノーパンバリスタとして……おっと、頬の筋肉が私の支配下を逃れようとしている。
もうなんでもいいから宝くじを当てたい。宝くじを当てて、そのお金で色んな客の煩悩を満たすカフェを作るんだ。そしたらもう除夜の鐘をつかなくてもすむでしょう。
世の中ではそういうのを、「物陰カフェ」って言うらしい。素晴らしいネーミングだと思う。後ろ暗い欲望を満たすための店にぴったりの名前だ。
物陰カフェ「セゾン=ド=ミスト」。いつか開店したいものである。