紅葉を狩る
休日。いつものように惰眠をむさぼっていたら、友人の都くんから連絡がきた。
「はい……どうしたの……」
「紅葉狩りに行こう」
「今日は無理なんだぜ。来週ならいける」
「じゃあ来週。車で迎えに行くんで、そういうことで」
トントン拍子で話は進み、あっという間に紅葉狩りに行くことが決定した。
考えてみれば、私は今までの人生で紅葉狩りというものに行ったことがない。もしかしたら小学校くらいのころに、秋の遠足とかで紅葉を見たかもしれないが、覚えてないのでノーカンだ。
ほとんど葉を散らした街路樹とか、近所の運動公園の並木道とかが赤色に染まっているのを見て、「ああ、秋だなあ」と思うくらいだった。
私は寒い季節が好きだ。
でもそれは紅葉みたいに何かが色づいて変化するから好きなのではなくて、街に溢れるさわがしい気配が消えるからだ。葉を落とした木々が並んでいる姿は、確かにいかにも寒々しいが、その寂しげな景色こそ秋冬の風物詩だと思う。
そんなだから、「紅葉いいなあ、見に行ってみたいなあ」と毎年のように思いつつも、特に実行には移さずに居た。
つまり今回の誘いは、絶好のチャンスだったというわけである。
が、しかし。
ここのところ引き篭もり生活を続けていた私は、人と出かけるのにプレッシャーを感じるようになってしまっていた。
もともと緊張してしまう性質で、友達と遠出とか見知らぬ人に会うとかのイベントごとの時は、決まってお腹を壊していたのだ。
それが不摂生と引き篭もりのおかげで、見事に再発してしまったのである。
「もうそんなんなるんだったら、大人しく部屋におさまっとけよ」という声が聞こえるが、それでも「いや、行くべし!」と私が自分を叱咤したのは訳がある。
単純に嬉しかったのだ。
都くんとは高校からの付き合いで、同じ大学に入って、そして彼は就職、私は大学院と道を違えることとなった。
しかし就職したあとも、自分のことを誘ってくれる彼の友情!なんとすばらしいのか!
私は嬉しくて、俄然テンションが上がってしまい、「おっしゃ行くか」と身を乗り出してしまったのである。顔の前ににんじんを吊られた馬のごとき有様だ。
それでも行くといった手前「やっぱやめた」とは言えないので、近場の紅葉狩りスポットを探して、行ってきたというわけだ。
さて、当日。私は案の定腹を下した。
待ち合わせの時間まで脂汗を流しながらトイレにこもり、ひたすらに耐える。そのうち自分が住んでいる場所が、初めからトイレだったような気がしてくる。
そういえば昔ロンドンハーツという番組で、女を装ってターゲットの男にメールをして、浮気するかどうかを探るという番組があった。
大抵の男たちは多少ならいいかと言わんばかりに騙され、最後におしおきとして、彼女に浮気現場を押さえられるハメになるのだ。
もちろん彼女は、彼がいっしょに居る相手が浮気相手だとは知らない、という設定なので、「誰その子?」ってな感じでにこにこと入ってくる。
しかし彼氏は後ろめたさ満載で、見るからに挙動不審になる。そして彼らは必ずといっていいほどある場所に行く。
そう、トイレだ。
「ごめんちょっとトイレいってくるね」と、毎回のように男たちは言うのだ。トイレは精神安定を図るための絶好の場所というわけである。
私も腹痛でトイレにこもっているときに、なんだか「ここに居れば大丈夫」という気持ちになるので、彼らの気持ちがすごくよくわかる。トイレ、居心地いいよな。ほっとするよな。
トイレというのはいわば、臨時のパーソナルスペースだ。そこでは陰部を露出しても、排泄をしても、誰にも何も言われないし見られない。
あらゆることを許された約束の地のように思える。
ちなみに、その番組の男たちはもちろん浮気をしようとしたことをバラされて、もしくはバレて、痛い目に遭わされていた。ざまあ見ろだ。
私は浮気する人間を許さないぞ。恋人が居るのを隠して浮気する人間なんて、最低の十乗だ。ガソリンをかけて火をつけてやれ!
決してルサンチマンではございません。
まぁそんなわけで、トイレに引き篭もり続けたのちに、約束の時間がやってきた。待ち合わせ場所に向かうと、彼の乗る車はまだ来ていない。しゃがみこんで待つ。
しばらくそうしていたら、大きな黒い車がやってきた。運転席には見覚えのある顔。
久しぶりに出会った彼と久闊を叙すのもほどほどに、私は後部座席に乗り込んだ。助手席にはトシくんと呼ばれている友人がいたのでな。
「適当に呼ぶわ~」と言っていた都くんが呼んだのだろう、と適当に推測を立て、特に気にせずに乗り込む。人数も待ち合わせ時間もアバウト、いつものことだ。
ぐったりと後部座席で溶けている私を見て、「いつも通りだな」と笑う二人。
せっかく遊びに誘ってくれたのに具合が悪いのが申し訳なくて、そのように言うと、なぜか笑われる。
「んーなんいつも通りじゃが、気にするわけないやん?」
冗談めかした、だけど確かに気遣いのこもっている言葉にほっとする。
私がしょっちゅう体調が悪くなるのを知っていて、それを織り込み済みで付き合ってくれる友達というのは、非常にありがたい。彼らは気にしないと分かっているから、私もいちいち気にする必要もないはずなんだけどなあ。
そんなわけで、死体のようになった私を乗せて、車は動き出した。
一時間ほど揺られて着いたのは、山の間の小さな町だった。
どこに車を停めていいのかわからなくて、微妙に邪魔になっていた私たちに、外を歩いていたおばあさんが声をかけてくれる。
「あんたたち!ここに停めねえ!空いとるよ!」
「ありがとうございます!」
そんなやりとりをしながら都くんが駐車場に車を入れる。
まだ着いたばかりだけど、なんだかいい場所だなあと思った。道行く人は楽しそうで、困っている人に声をかけるような温かみもある。
そう思うと、すっとお腹が楽になった。
「かすみ、元気か?」
トシくんが声をかけてくれるので、「イケるイケる」と軽口で返しながら車を降りる。山が近いせいか、空気が澄んでいる気がする。
紅葉狩りの場所としてそれなりに有名なのか、道には観光客と思しき人たちがたくさん歩いていた。
名所は奥にあるということなので、徒歩でそちらに向かう。もっと人気の少ない山のようなところを想像していたので、公民館やら小学校やらがあって面食らう。
小学校の中では子どもたちが楽しげに遊んでいる。平和な光景に頬が緩む。
ぼんやりと眺めていると、身体が触れ合うほど身を寄せ合っていう男の子が居た。
!!
緩んでいた頬が邪悪に引きつりそうになるのをこらえる。
前を歩く都くんとトシくんは、私の変化に気づいていない。大丈夫、大丈夫だ。素数を数えろ。素数ってなんだっけ、大丈夫じゃない!
なんでそんな距離で並んで座っているんだ!やめろ、嬉しそうな笑顔を隣の男の子に向けるんじゃない!笑顔を向けられてはにかんでるんじゃない!
美しい紅葉を見て楽しもうという風流なイベントに来たはずだったのに、いつものように男の子ウォッチングをしてしまう自分。
さっきまで腹を下していたクセに、自分の欲求に素直すぎだ。
微妙に歩くのが遅くなった私を、不審そうに振り返る二人。アハハ、なんでもないよ。
ごまかすつもりで視線を上にやると、見事に真っ赤に染まった紅葉が目に飛び込んできた。
私はそれまで、紅葉というのがここまで真っ赤になるものだとは知らなかった。
せいぜい黄色とか赤がまざったような色になるものだと思っていたら、目の前のモミジは見事に真っ赤なのだ。太陽の光を受けて、燃え立つようだった。
二人も紅葉をまともに見たことがなかったのか、「すげー赤い!」と感動していた。
山のふもとに続く道の先に見所があるようなので、そちらに向かって歩く。
道の先には見事に紅葉した木々が並ぶ、落ち着いた雰囲気の庭園があった。
家族連れや近所の人と思しきおじいさんが、わりとたくさん歩いている。やはり人気スポットだったらしい。
都くんとトシくんは、紅葉を見る時間よりも、茂みに大きな巣をつくっていたクモを眺める時間のほうが長かった。就職しようがなんだろうが、少年の心を失わない二人に乾杯。
しかし枯れ枝を投げて刺激するのはどうかと思うぞ、いや、ちょ、マジでやめ、うわああああ動いたああああああ!!
私は虫が苦手だ。特にやつらは空中にぶら下がっているので、気味の悪い裏側が丸見えで恐ろしい。
ドン引きの私のよそに、二人は大きなクモを見つけてはしげしげと観察するのであった。やめてくれ。
今回の収穫は、紅葉の美しさと変わらぬ友人の大切さだった。
私たちは日々世界と戦っている。
それぞれの理不尽に直面し、立ち向かったり迂回したりしながら、どうにかこうにか日々を生きている。
そんな生活の中で、変わってしまうことはたくさんある。一年前の私と今の私は、きっと違っているに違いない。
だけど変わらないこともある。私が緊張に弱くてお腹を壊してしまうことのように。そんな私を、「変わらんなあ」と笑う友人たちのように。
そんなわけで、「何もかも変わってしまった!もうイヤだ!」なんて悲しい夜には、変わらないものを数えてみるのもいいかもしれない。
モミジは毎年紅葉するし、私はこれからも緊張すればお腹が痛くなるし、友人たちはそれを笑うのだろう。
そんな感じで、情けなく毎日を遅れたらいいか、と思った次第だ。