こたつの中で膨らむいろいろ

 この間まで「だんだん寒くなってきたなー」とか思っていたのだが、昨日今日でいきなり冷え込んで驚いている。

 ツイッターを見ていたら、北海道のほうでは雪がつもりまくっているとか。ひええ、まだ十一月半ばなのに。試される大地には今年も試練の時期が訪れたようだ。

 寒くなるといつも考えるのが、「世の男の子たちは友達とこたつに入ったりして、ムラつかないのだろうか」ということだ。

 こたつというのはぬくぬくとして、外とは隔絶された空間である。こたつの中で何をしていたって、バレないのである。

 上はきちんと服をきてにこにこと笑っていても、下は履いていなくたっておかしくない。だって外からじゃ中の様子は窺えないんだから。

 シュレディンガーのこたつだ。その中には男の子の下半身が裸である世界と、裸でない世界が混在している。

 私?私はどちらでもいいぞ。裸なら眺める楽しみが、裸でないなら脱がす楽しみがあるからな。

 話を戻そう。こたつの中はうかがい知れない密室空間という話だ。

 だからこたつの中で男の子が膨らんでしまった息子を披露したり、もじもじと足をこすり合わせたりしても、誰に責められることもない。

 考えてもみてほしい。クラスメイトといっしょに勉強をしていて、ふと目をあげてみたら彼が少し赤い顔をしているところを。

 「どうしたの?」

 「えっ、な、なんでもないよ」

 「なんでもないことないでしょ、顔赤いし」

 「なんでもないってば!」

 私が彼に代わって、何が起きたのか説明してしんぜよう。

 大きくなっちゃったんだよね。

 ああ、なんでもない友達と二人で居るだけのはずなのに、なぜか猛ってしまうわがままな息子。

 彼は友人と共有している密閉空間で、自分が興奮の証をおったててしまっていることに動揺と羞恥心を隠せない。

 しかし同時に考えてしまうのだ。

 ここで自分の息子をあらわにしたとしても、目の前の彼にはバレないのだということを。

 こたつの中はいわば、秘密の花園といってもいいだろう。茂っているのはもちろん色んな毛だ。

 毛といえば、あの毛が縮れているのはフェロモンをたくわえるためだと聞いたことがある。

 素晴らしい。これぞまさに機能美。神は人間の体をかくも美しく作りたもうた。

 例えば、もしもあの毛が髪の毛と同様にさらりとして、風になびくような代物だったらどうだろうか。そこにエロチシズムはあるだろうかいやない。

 句読点が入る猶予もないくらいに即断できる。

 それにもしもあの毛が縮れていなかったら、思春期の男の子の部屋で時折おこる、「うわ、チ○毛落ちてる!」「ちょ、やめろって!」というあのやり取りが見れないではないか。

 思春期の男の子の部屋には縮れ毛が落ちている。それは彼が思春期であることの証でもあるのだ。それを恥ずかしがるところまで含めて、青春だ。

 ていうか、ねえ。

 あの毛が落ちてるなんて、部屋でアソコを露出していることの証明みたいなものじゃないか。思春期の男子が一人の部屋でアソコを露出して、何をしているかは、想像にかたくない。

 私は自分に想像の糧を与えてくれる、男子の部屋に落ちた縮れ毛を愛する。

 あの毛がフェロモンを充満させるためにある、という事実も、知っているのと知っていないのでは大違いだ。

 その毛を見たときに、ただ「縮れ毛だ」と思うのと、「フェロモンをその身に受け、たくわえる働きをしている縮れ毛だ」と思うのでは雲泥の差だからな。

 それはたとえるなら、気になるあの子のリコーダーだ。

 ただのリコーダーに大した価値はない。しかしそれが「あの子の吹いたリコーダー」になった途端に、男子に抗いがたい誘惑を与える。

 付加価値はかように重要なのである。

 うーん、それにしても寒い。手がかじかんでうまくタイピングができないよ。

 ちょいと失礼、暖房を出してきやしょう…。

 いやあお待たせしました。バッチリでごわす。

 我が家には優れた小さなヒーターが居るのだ。彼は私の膝くらいまでの高さしかないクセに、なかなか高い暖房能力を持っていて、重宝している。

 今も机の下で「ごおおお…」と微かな音を立てて、足元を暖めてくれている最中だ。

 そういえば子どものころは、学校の机をぜんぶコタツにすることに憧れていた。

 学校の机の天板をはがして間に毛布をいれたら、ずっとあったかいのになと思っていた。

 小学生のころの私は、あのやけに短い半ズボンを履いて、川も凍るような気温の中を歩いて学校に向かっていたのだ。そんな夢をもっても仕方ないと思う。

 最近の店にはその夢を実現したような机が並んでいる。

 腰くらいまである高さの机の端から、毛布がにょーんと伸びているのだ。椅子にちゃんと布を張ってあって、足の間には板が渡されているから、中で温まった空気が逃げないという優れものだ。

 確かにあったかいし、機能的だ。

 しかし机こたつには、重大な欠損がある。

 私が冒頭で述べたような、「こたつの様式美」がないのだ。

 たとえば男の子が二人で、机こたつに入ったとしよう。そこで何が起きるというのか!

 ちょっと声をかけられたから身を寄せるというイベントは椅子に阻まれてできそうにないし、狭いこたつの中で足のやり場に困って、結局くっつけたままになるという嬉し恥ずかし展開も期待できない。

 机こたつには夢がない!

 こたつは地べたにあってこそだ。地べたにないと、こたつに入ったままごろ寝することだってできないからな。

 冬の風物詩といえば、こたつにみかん、こたつにアイス、こたつでお昼寝だ。ついでに隣で寝ている友達に腕枕されているとなおいい。ベッドで腕枕にはない良さがある。

 もちろん我が家にもこたつはある。しかし悲しいかな、私は一人暮らしだ。

 だから誰かとこたつに入って「あったかいね」なんて笑いあうこともないし、足が触れ合ってドキドキすることもない。

 去年は試しに横のほうに鏡を置いて、「あったかいね」と笑いかけてみた。

 不細工が気持ち悪い笑みを浮かべているところが丸見えで、人前で妄想するのはよそうと思った。自分を客観的に見つめなおすいい機会だった。

 今年はそんな悲しいことをしなくてすむように、誰かとこたつに入って鍋でも囲みたいものである。

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