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女装とノーパン

日常

 雨が降りがちなせいで、なかなか洗濯ができない。このままではノーパン生活を余儀なくされそうだ。

 部屋の中もじめじめしていて居心地が悪い。某アンパンの「顔が濡れて力が出ないよ」というセリフが頭をよぎる。

 やる気が出ないのでベッドでゴロゴロしながら、ノーパンのよさについて考えてみた。

 やはり外しがたいのは、「すました顔して実は下着を身に着けていない」という淫靡さであろう。特に性器周りはデリケートゾーンであるので、一枚めくればこんにちはという状態には興奮を禁じえない。

 続いて、「下着を身に着けないことで放たれる無防備感」だ。これも非常に重要なファクターである。

 なにせ本来ならもう一枚あるはずの障壁が、存在しないのだ。その上に女装なんぞしてみろ。たった一枚のヒラヒラ踊るヴェールの向こうにはエデンが屹立しているのである。

 その魅力にはゼウスも思わず前かがみになることであろう。

 私はノーパン女装少年を応援します。

 さらに加えて、誰がノーパンであるのかという要素も重要だ。一口にノーパンといっても、その秘めるポテンシャルには、宇宙の広がりにも近しい無限を感じずにはいられない。

 以下に私の考える三つの可能性を述べよう。

 一つ目は、女装優等生だ。

 学校一の秀才で、委員長だってつとめる人格者。女子には人気で男子には一目置かれ、教師たちからのおぼえもめでたい。

 そんな彼は、放課後の委員会室に私を呼びつけるのだ。

 夕暮れに沈む薄暗い委員会室に私が入ると、「待ってた…」と甘えるような声。

 委員会室の机に座った彼は、ちょっと見ただけで校則に違反しているのが分かるような位置まであがったスカートをはいて、惜しげもなく白い太ももをさらしている。

 そして彼は短いスカートをさらにたくしあげながら、「はやくしよ」と性急に熱を求めるのだ。

 この素晴らしさは、日ごろ抑えている性欲が漏れ出している点にある。

 彼だって男の子、性的なことに興味もある。それは押さえつけられているせいでよりいっそう熱をまし、彼に卑猥なポーズをとらせるのだ。

 二つ目は、普通男子の女装だ。

 どこの学校にでも居るような、ちょっと地味目だけどノリがよくて誰とでも楽しそうに話しているような彼。付き合っているのは秘密だけど、いつもいっしょに帰って、時々は彼の家に遊びにいったりもする。

 ある日「今日親いないからさー、うち来いよ」と誘われて、私は彼の部屋にあがりこむ。

 部屋にあげた途端に彼はどこかにいってしまって、きっと私はベッドでダラダラ漫画を読んだりするだろう。

 そのうち彼が帰ってくる。

 「な、これどう?」

 「えっ、な、なんて格好してんの!」

 そう、彼は女装して現れたのだ。きっちり校則を守った膝丈のスカートである。

 彼はそのままベッドに座っている私の上にのしかかってくる。そして馬乗りになったまま言い放つのだ。

 「これ、下、何も履いてないんだ」

 キャアアアアアアアアア!!コレシタナニモハイテナインダアアアアアアアア!!

 はぁ…はぁ…ふぅ…。

 すみません、少し取り乱しました。

 皆さん考えても見てください。純朴な笑顔をした少年が、恥ずかしそうにスカートをまくりつつ、「これ、下、何も履いてないんだ」と言う姿を。

 最後の審判で裁かれようと、我が人生に一片の悔い無しって感じだ。

 三つ目は、女装不良少年という可能性だ。

 少年は弱みを握られ、倉庫の中でスカートを履かされている。彼はスカートを履いていて、そのスカートを思いっきり下にむかって引っ張り、顔は真っ赤だ。

 「て、てめえ!ふざけんな!変態かよ!」

 悔しげに叫ぶ少年は、普段よりも格段に風通しのよくなった下半身をもじもじとこすり合わせる。

 男たちは自分の秘部を隠そうとしている少年の手を無理やりはがし、手錠で拘束する。足首はすでに縛られているので、ドンと押されるだけで彼は簡単に倒れる。

 倒れこんだとき膝を開いてしまった少年は、あられもない姿をさらすことになるのだ。

 ありがとうございます!ありがとうございます!

 私はこの世界に生まれてよかったなあと思います。こんなことで感謝されるのは、はなはだ遺憾かもしれないが、産み落としてくれた母に感謝だ。

 素晴らしきかな女装不良少年。声を荒げたりもがいたり威嚇したりしつつも、最後には男たちの毒牙にかかって、自分からおねだりをするようになるのね…。

 女装とノーパン。世界にはあふれんばかりの可能性が広がっている。

 ノーパンは素晴らしいが、もちろんパンツを履いているという素晴らしさもあることを忘れてはいけないだろう。

 パンティをはいた男というのも、それは神々しいものである。

 女性下着の話をしていて思い出したが、昔ニュースでメンズブラの特集を組んでいたことがあった。

 その時のキャスターは逞しい褐色の体をした、いかにも肉体派、現場レポ担当、といった風情の男性であった。

 さて、彼がメンズブラの工場に赴き手にしたのは、ピンク色のかわいらしいブラジャーだ。胸に当たるところの膨らみがあまりないので、一見すると拘束具のように見えた。

 工場のおばちゃんたちに勧められて、メンズブラを身に着ける男性キャスター。そしてコメントをする。

 「いやぁ~。なんというか、こう、拘束されることによって開放されているような感覚になりますね」

 この発言は今でも忘れられない。ものすごい発言だと思う。

 少なくとも夕方六時からのニュースで放っていい言葉じゃないだろう。

 しかしその気持ちは分かるのだ。

 女性下着というのは、普通男が身に着けないものだ。それを身に着けるのは、日ごろ押し込められている社会通念という枠から、自らを解放する行為となるのだ。

 「男たるものかくあるべし」という考えは根深く、それによって自我を抑圧されている男は多いだろう。本当はかわいいものに憧れたり、スイパラで思い切り楽しみたいのかもしれない。

 しかしそういったものは、よくわからない「世間の目」の前で、彼らにとって行いがたいものなのだ。世間によって、がんじがらめに拘束されているのだ。

 メンズブラを身に着けることによって、そっと自らを解放する男たち。なんならパンティだって履いてもいいだろう、誰に見えるわけでもないのだから。

 彼らは布一枚隔てたところで、自らを解放しているのである。

 ふぅ、つい熱くなっちまったぜ。

 何が言いたいかっていうと、下着のみの女装をしている男もいいよねっていう話だ。

 服での女装、下着のみの女装、ノーパン。どれもこれも、一つの自己表現の形なのかもしれない。そう考えればなんだかノーパンも怖くない気がしてきた。

 私は今日も風呂に入る。パンツは残り少ない。

 ノーパンになることで、私が開放される日も近いようだ。

 明日は洗濯できるといいな。