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ずっと笑って3

SS

ずっと笑って

ずっと笑って2

 三日間こんこんと眠り続けた。大学に行って誰かと顔を合わすのも嫌で、狭い部屋の中で現実から逃げるようにひたすら布団の上でうずくまっていた。

 しかしそんな生活にも限界がきた。どんなに落ち込んでいても喉は乾くし、腹は減るということが滑稽だった。

「そろそろ…起きるか…」

 久しぶりに声を出してみて、掠れているけどきちんと音が出ることに驚く。服を着替えてフラフラと近所のコンビニまで歩き、食べ物と飲み物を買う。

 浩太が遊びに来たときには、よく二人でこのコンビニに来たよなぁ。コンビニに入ったら浩太は真っ先にアイスのコーナーに行って、あれが食べたいだのこれが食べたいだの言っていた。それから――。

 うっかり思い出してしまって、心臓を細い糸で締め上げられるような痛みに襲われる。頭を振って、そんな考えを頭から追い出す。

「もともと一人の時間が多かったはずなのに、なんでこんなに寂しいんだろ…」

 静かな部屋でもそもそと味気ないコンビニ弁当を食べながらひとりごちた。食べ終わって風呂に入ってから、ほったらかしだった部屋を少し掃除して大学へ向かう。

 大学の授業はいつも通りだった。三日間ほとんど飲まず食わずで過ごしたせいでやつれていたので、数人の友人に具合でも崩していたのかと聞かれ、風邪をひいていたと答えた。

 幸い夏から秋への季節の変わり目ということで、それは違和感なく受け入れられたようだった。

 自分が休んでいた間も部活はあり、久しぶりに弓道場に行ったら部長に無断欠席の理由を聞かれた。弓道部は礼儀礼節や規律には厳しい部活だ。いくらか叱られるかなと思っていたが、自分のやつれ具合と風邪という言葉で、むしろ部長は心配してくれた。自分のことを心配してくれる人が居るということを思うと、少しだけ嬉しかった。

 それから袴に着替えて弓道場に出た。扉を開けた瞬間、目の前に浩太が居た。

 「久しぶり!風邪ひいてたって?大丈夫かよ」

 いつも通りの笑顔と声の調子だった。いつも通りすぎて違和感があったが、大丈夫とかなんとか口の中でもごもご答えて、すぐに的を狙う部員が並んでいる列に紛れ込んだ。

 三日のブランクのせいはもちろんあるが、それ以上に心が掻き乱されていて結果は散々だった。矢が的に刺さることは一度もなく、むしろ矢を放つ時の衝撃で自分の体の方がどうかしてしまいそうだった。矢を放った直後の爽快感なんて、あるわけがなかった。

 その日の練習が終わりミーティングをした後、バラバラと部員が散り始めたのに混じっておれも帰ろうとしたら、すっと浩太が近寄ってきた。

 「健一。おれ、お前がほんとのこと言ってくれるの待ってるからな」

 無理矢理作ったのが丸分かりの、苦しげな笑顔でそれだけ言われて、返す言葉を探しているうちに、浩太は離れていってしまった。

 段々と太陽が出ている時間が短くなっていた。少し前までならまだ明るかったはずの道を、自転車を押して帰る。微かに夕焼けの色が残る遠くの雲を眺めながら、浩太に言われた言葉を反芻する。

 浩太は待っていると言ってくれた。おれがほんとうのことを浩太に打ち明けるのを。

しかしそのほんとうのこと自体が、おれと浩太の今の関係をぶち壊してしまうかもしれないものだということを、浩太は知らない。

 知られてはいけない、浩太への密かな恋心。

 打ち明けるのはあまりにも恐ろしいことだった。

 自分の恋心にケリをつけられないまま、ふわふわと日々を過ごした。十月の涼しい風は、十一月になって身を切るようになり、十二月には雪を連れてきた。

 雪が積もったある日、同級生に連れられて雪合戦に参加した。毎年雪が積もると、誰からともなく「雪合戦をしよう」と言い出して、月に一、二回は雪合戦が行われていた。おれが参加した雪合戦は、浩太が参加していないということがあらかじめ分かっていたので、久々に心置きなく体を動かした。夢中で雪合戦をしている間は、他の余計なことなんて考えずに済んで助かった。

 いつもなら小さい体で誰よりも激しく跳ねまわって、相手にたくさん雪玉をぶつけている浩太が居ないのは、やはりみんな気にしていたらしく、雪合戦が終わってから浩太の話題になった。おれは気まずい話題にそっとその場に背を向けた。

 「今、浩太って風邪ひいて寝込んでるんだろ?大丈夫かよ。あ、健一は見舞い行かねぇの?」

 帰ろうとした矢先にそんな声がかけられた。今まで浩太が病気になったりしたら、オレが真っ先に行っていたのだ。当然だった。

 「あー、でもあいつ彼女できたみたいだし、おれが行ったら迷惑なんじゃね?」

 「そんなことねぇって。彼女と友達とはまた別だろ。あいつお前といっしょに居ない時でさえ、お前の話ばっかしてるんだぜ?お前が行って喜ばないわけねぇよ」

 少しだけささくれ立ってしまった、おれの声の調子にも気付かず、暢気な声で友達が言う。おまけに「どっか悪いのか?」なんてこっちの心配までしてくる始末だった。

 「どこも悪くねーって。まぁ長引くようなら様子見に行くくらいはするさ」

 そう返して、陰気な顔を見られないように背を向けた。

 家に着いてから、一人の部屋で仰向けに寝転がり、天井を見上げながら考える。

 自分の知らないところで、浩太がそんな風に自分のことばかり話していたというのは、少し意外だった。誰にでも分け隔てなく接する浩太が、そんな風に特別に思っていてくれたという事実は、嬉しいような切ないような複雑な気分だった。

 浩太が初めて病気になった時に、学んだことがある。あいつは病気になると、すぐに部屋にひきこもって、誰にも言わずに治そうとするのだ。大学に来てないのに気付いたおれが、電話やメールで「どうした?」と聞くと、初めて病気であることを言う。しかも絶対に「すぐ治る」だとか「大丈夫」だとかつけるのだ。

 おれはその度に「しんどい時は頼れ、無理すんな」と言ってきた。

 そのおれが、浩太がきっと頼りたいであろう時に傍に居られないのが間抜けで、思わず笑いがこみあげてきた。少しだけ漏れた笑いはすぐに嗚咽になった。頬をつたった涙のあとが自分でも驚くほど熱くて、それがそのまま自分の胸の内でうずまく熱を表しているような気がした。

「くそ、なんでこんな…浩太…」

 ただの片想いのはずだった。叶わない片想いなんて世の中にごまんとあって、そのうちの一つになる予定だった。相手が男なことを除いては、何も変わらないと思っていた。

 でも違った。自分にとって浩太はあまりにも特別で、大事なものになってしまった。浩太が居なくなっただけで、世界が色を失うほどに。

 浩太と一緒に部活をした。矢を放つ瞬間の張りつめた表情と、当たったり外れたりする度にクルクル変わる表情が面白かった。浩太と講義を受けた。内容についていけずに寝ている顔が無防備で、なんどか頬をつついて起こしたりした。

 浩太と一緒に帰った。夕暮れの道を好きな奴と一緒に歩けるのは幸せだなぁなんて思った。

 浩太と酒を飲んだ。ただでさえ陽気なのに、酒を飲んでさらにはしゃぐ浩太の相手をするのは大変で、でもそんな姿も可愛いなぁと眺めていた。浩太と一緒に寝た。浩太の匂いや体温に胸が高鳴ってどうしようもなくて、正直めちゃくちゃ抱きしめたかった。

 ――そうだ…浩太はいつだって、ありのままで俺と一緒にいてくれたじゃないか。俺が一方的にこんな風に拒絶したのに、それでも「待ってる」と言ってくれたじゃないか…!

 気が付いたら居てもたってもいられなくなって部屋を飛び出していた。クリスマスムードで目に突き刺さるほど煌びやかな街を、浩太の家目指してひたすら走る。

 ――ごめん、ごめん浩太!俺勝手なことばっか言って、お前のためとか言いながらほんとは自分のことしか考えてなかった…!

 いきなり走りだしたせいで肺が軋む。息を吸おうとしたら喉がひきつってうまく吸えない。苦しくてたまらなかったが、足を止めるつもりはなかった。

 家まで行ってなにをどうするつもりかなんて分からなかった。とにかく浩太に会いたいという気持ちが胸に迫った。しんどい思いをしてるなら傍に居たいし、今までのことを謝らなくちゃいけない。

 そしてできれば、自分のほんとうの気持ちを打ち明けよう。

 走って走って、ようやく浩太の住むアパートまでたどり着いた。膝に手をついて息を整えながら、勢いで飛び出してきたけど自転車にのってくればよかったのではといまさら気づく。

 浩太の部屋は二階なので、階段をのぼろうと上を向いたら、ちょうど降りてきた人と目が合った。

 「こんにちは。どうしたんですかそんなに息を切らして?」

 「こ、こんにちは……えっと、麻奈美、さん」

 「はい」

 顔を見た瞬間に自分はなにをバカなことをしているんだろうと、一瞬で血の気がひいた。

 浩太には麻奈美さんがいるんだから、看病だってしてもらってるに決まってる。「しんどい思いをしてるなら傍に居たい」って、微妙な距離感になってしまった俺がいきなり現れてもますます気まずいだけだ。

 きっと俺の顔は、いきなり青くなったり恥ずかしさで赤くなったりと忙しかったのだろう。麻奈美さんは口元に手を当ててクスクスと笑い出した。

 「私の顔に何かついてます?」笑っている麻奈美さんをポカンと眺めていたら、笑い混じりに聞かれた。何も返せずに、「あ、いや、別に…」とうつむく。

 カツカツと靴音が響かせながら階段を中ほどまで降りて、ちょうど座ったら俺の目線と同じくらいの高さになる位置で麻奈美さんは腰をおろした。

 そのまま「ちょっと聞いてくださいよ」と唇をとがらせて話し出す。

 「私、いまのいままで浩太くんの看病をしてたんです。いきなり連絡くれなくなったからどうしたのって連絡したら、風邪ひいたっていうから」

 何の話が始まったのか分からず、はぁと間の抜けた相槌を打つ。

 「とりあえずおかゆつくって、おでこにのせるタオルかえて、寝ちゃったみたいだから洗い物を始めました。そしたら浩太くんうなされながら、『ごめん、ありがと…』って言ってくれたんですよね。かわいいなと思いつつ、寝苦しそうだからもう一回だけタオル変えようと思って近寄ったら、なんて言ったと思います?

 「な、なんて言ったの?」

 「健一がいてくれてよかった」

 虚をつかれて言葉を失ってしまった。

 しかしそんな俺には構わずに、彼女は言葉を続ける。

 せっかく恋人になれたのに、いっつも健一さんの話ばっかりだし、私と話してるときよりも健一さんの話してるときの方が楽しそうだし、なーんかおかしいなと思ってたんですよね。

 そこで私はここぞとばかりに聞いてみました。浩太くんはもしかして健一さんのことが好きなの?って。

 彼はなかなか答えてくれなかったけど否定はしませんでした。なので優しく頭をなでながら「ほんとのこと言っていいんだよ、誰にも言わないから」となだめすかし続けました。

 そして彼は、ほんのちょっとだけ頭をたてに動かしました。

 衝撃ですよ、大ショックです。でも好きな人が他の人を好きだったなんてよくある話だし、まぁ仕方ないかなと思いました。たまたまその他に好きな人っていうのが男だったってだけで。

 無理させてまでこれ以上続ける気はないので、「また様子は見に来るけど私たち別れなきゃだね」って話をしてきました。

 そして浩太くんの家を出て階段を降りようとしたら、思いつめた顔で息を切らした健一さんが居ました。

 さらに私は、なかなか空気が読める女なわけです。

 

 事の次第をすっかり話して、麻奈美さんは小首をかしげてこちらの様子を伺ってきた。

 「浩太に…」

 「はい?」

 「誰にも言わないからって言ったのに、君は俺に話してる」

 「あら。浩太くんだって私に好きな人がいるのを秘密にして、私と恋人になったんです。それくらいの意趣返しはしたっていいでしょう?」

 

 正論かもしれなかった。

 自分が聞いたことが信じられなくて、関係ないところに突っ込んでしまう。

 麻奈美さんはゆっくりと立ち上がった。混乱しっぱなしで固まっている俺の前まで、階段を降りてくる。

 そのまま俺をビシッと指差して言った。

 「私、ウソやごまかしは嫌いです」

 思わず、先生に間違いを指摘された生徒のように立ちすくむ。

 「その顔見れば健一さんが浩太くんのことどう思ってるかなんて丸分かりです。そして私はもう浩太くんとは別れます。言いたいこと分かりますよね」

 「えっと、その…」

 「あら、これ以上私に塩を送らせる気ですか?」

 軽くおどけたような表情と「塩を送らせる」といういかめしい表現に、ふっと気が緩んだ。

 「大丈夫、ちゃんと伝わってるから」としっかり返す。

 「よろしい。それでは私は帰ります。まったく男の子って、ほんとうにしょうがないですね」

 最後に少しだけ寂しそうに笑って、麻奈美さんは俺の横をすり抜けていく。

 俺は階段をのぼる。我ながら情けないけど女の子に背中を押してもらって、最後のおびえも無くなった。

 あとはただ、浩太とちゃんと向き合うだけだった。

 チャイムも鳴らさずに扉を開けて、浩太の家に勝手に入る。

 たぶん麻奈美さんが帰ってきたと思ったのだろう、「なに、忘れ物…?」と掠れた声が奥から聞こえた。

 部屋に入ったら、ベッドで半分体を起こした浩太が目をまん丸に見開いていた。

 「なっ、け、けんいちっ!?なんっ…!?」

 「お前はまた病気なのに一人でなんとかしようとしたな」

 「え、それはその…」

 いきなりのことに驚いて頭が回ってないのか、しどろもどろだ。

 「…ていうか健一冷たかったし、風邪引いたからって言えるわけないじゃん」と、布団のふちを握り締めた浩太がすねるように言う。

 「そうだな、俺が悪かったよ。ごめんな浩太。勝手なことばっかりして」

 久しぶりに普通に喋る俺を見て、浩太はいぶかしげな顔になる。俺は浩太が質問したそうに口を開くのをさえぎって、ベッドのふちに腰掛けた。

 布団をつかんだままの浩太の握りこぶしに、自分の手を重ねる。

 「浩太さ、俺がほんとのこと言うの待ってるって言ってくれたよな。今からでも遅くないか?」

 今度は戸惑うように視線を逸らしながら、浩太はコクリと頷いてくれた。俺は浩太の握りこぶしに重ねた手に、少しだけ力をこめる。

 今まで浩太と過ごしてきた時間が頭をよぎる。

 初めはただの友達だった。少しずつ仲良くなっていって、気がついたら浩太がいないと物足りなくなっていた。

 一緒にいる時間が増えて、いつでも浩太の姿を目で追うようになった。耳が声を探すようになった。

 浩太と一緒に居られるだけで幸せで、今日がずっと続けばいいと思った日があった。自分の中にある気持ちを認められなくて苦しんだ夜もあった。

 そして浩太に恋人ができて一方的に突き放して、ほんのちょっと前まで世界は真っ暗だった。

 笑ってしまうことに、それでも浩太のことが好きじゃないとは思えなかった。一人でいればいるほど、思い浮かぶのは浩太のことばっかりだ。

 自分の中にある真っ直ぐな気持ちを確かめてから、口を開いた。

 「実は大学に入ったころからずっと、お前のことが好きだった」

 言ってしまってから耐えられなくなって、視線を落とす。いつまでも手を握っているのが急に恥ずかしくなってくる。

 自分がものすごく滑稽なことをしている気分になってきた。病気のところに押しかけていきなり手を握って告白とかありえないというか、自分に酔ってるっぽくてイタいのではという不安もでてきた。

 手汗がどんどん出てきていたたまれなくなって手をひっこめようとしたら、熱っぽい浩太の手が俺の手を握ってきた。

 そのまま離せないようにぎゅっと握り締めてくる。

 「おれも…」熱で掠れた声で浩太が呟く。

 「おれも健一のこと、好きだよ」

 実はこの瞬間まで、心のどこかで「麻奈美さんはああ言ってたけど、浩太は別に俺のことなんてなんとも思ってないかもしれない」と考えてた。

 だから普通にフラれても仕方ないし、むしろそうなる可能性のほうがデカいんだと自分に言い聞かせていた。

 だからその心配が無くなって気が緩んだのか、視界があっという間に滲んだ。

 本当はずっと願っていた。ちゃんと気持ちを浩太に伝えて受け入れられたいって。

 それが叶って、信じられなくて、堰を切ったように涙が溢れ出す。とっさに顔を背けたけど浩太にはすぐにバレてしまう。

 「わっ、ちょっ、なんでお前が泣くんだよ!」

 「ご、ごめん…だって俺、浩太に好きになってもらえるなんて考えたことなくて…」

 「ほんとしょーがねぇな…ていうか泣きたいのはおれの方だって。健一はいきなり冷たくなるし、風邪ひいてしんどいし…頭クラクラしてきた」

 自分のことでいっぱいいっぱいで浩太が病気なことも忘れていたので、「わー、ごめん!俺帰る!」と慌てて立ち上がろうとする。

 すると浩太はまだ握ったままの手に力を入れて、グイッと自分のほうに引っ張った。立ち上がりかけていた俺はバランスを崩して、浩太にもたれるように倒れこんでしまう。

 そのまま浩太は俺の首筋に熱い額を押し付けて言った。

 「おれ、いましんどいの。わかる?」

 「わ、わかる」

 「だから、その…治るまで看病して」

 今まで素直に頼ってきたことのない浩太が、すごく言いづらそうに放った言葉に虚をつかれた。

 そうだ、俺たちはこれからもっと素直になっていいのだ。互いを特別に思っていることが分かったのだから。

 俺たちはまた喧嘩をするかもしれない。男同士だしいろいろ問題もあるだろう。

 だけど少なくとも俺は、もう二度と浩太を突き放したりはしないと決めた。浩太の言葉をちゃんと聞くし、自分のことをもっと話そうと思う。

 浩太だけじゃなく自分も笑顔でいられるように、できることはなんでもしよう。

 ポンポンと頭を撫でてからそっと身を離して、俺は言った。

 「任せとけ」