イヤなゲイの話

 私はその日夕飯をどうしようか悩んでいた。

 コンビニ飯や惣菜ばかりでは味も栄養も偏りがちだ。でも自分で料理をするのはめんどうくさい。ちゃんと野菜も買ってくれば惣菜でも大丈夫な気はするが、惣菜は揚げ物ばっかりなのだ。

 ただでさえ弱りがちな胃腸だし、いたわってやるべきだろうか。

 いやいや、ライオンは我が子を千尋の谷に突き落とすという。ここはひとつ油っこいもので情けない胃腸を鍛えてやるべきではないのか。

 ただライオンと違うのは、私が胃腸を千尋の谷に突き落とせば、苦しむことになるのは私自身なのである。悩ましい。

 とりあえずスーパーまで出かけてから決めようと家を出た。するとちょうど同じタイミングで、カンカンとハイヒールの音を響かせながら、派手な格好をした女の人が階段をおりてきた。

 見たことないけど二階の住人かなと、とりあえず挨拶をしておく。

 気にせずに自転車置き場に向かっていると、今度は私の真上に住む男が降りてきた。こちらは同じアパートに住む人なわけだし、挨拶をすべきだろう。

 でも今まさに自転車に乗ろうとしているところだし、距離もちょっとあるし……。

 逡巡する私を尻目に、男はまっすぐ女のもとへ向かった。そして彼は「お待たせ」と一言告げると、あろうことか女の手をとったのである。

 女は「ううん、ぜんぜぇん」と鼻にかかった甘い声を出し、その手をスルリと男の腕に絡ませ、二人はそのまま日の沈みつつある街へと消えていった。

 あとに残された私は呆然である。

 真上の部屋に住む男は、ズシンズシンと夜な夜な謎の音を響かせていた。

 私は以前、男が別の男と二人連れで部屋に入っていくのを目撃していたので、友達とはしゃいでいるのかそれとももしかして……、と邪悪な妄想に胸をたぎらせたものだ。

 仲のいい二人の男の間を邪魔するのも無粋かと、深夜の物音にも目を(耳を?)つぶっていたのだ。

 そ、それが女だと!?

 貴様ら、私の部屋まで響く音はなんだったのだ!いったいナニをしていたァーッ!

 自転車置き場で荒れ狂っても一人(自由律俳句風)。悔しさをかみ締めながら、私はスーパーで揚げ物を買い込んできたのであった。

 しかし家に帰ってきて油もので胃腸を千尋の谷に突き落としながら、私は気づいた。では彼の部屋へ消えていったあの男はなんだったのだ?

 確かにあの夜、二階の部屋からドンドンズシンズシンという音が聞こえてきていたぞ。

 はっ……、もしかして二股!?私の真上に住む男は、女と男で二股をかけている!?

 いったいどっちが本命なんだ!個人的には男のほうが本命だといい!

 勝手なことを考えていたら、二股というキーワードでイヤなことを思い出した。

 私は昔、とある男に騙されたことがある。

 騙されたといっても金銭的に何かを奪われたということもない。本やドラマでもよくあるような話だ。

 彼(Hと呼ぼう)とは、私がいろいろと忙しくしている時期に知り合った。

 そのころの私は色んなことにいっぱいいっぱいで、とにかく余裕がなかったように思う。心のどこかでいつも、誰かに助けてほしいと願っていた。

 Hは私が困っていることについてよく知っていて、私は彼によく相談をしていたのである。

 そしてある時、Hと実際に会って話そうということになった。私は意気揚々と出かけた。

 面と向かって話すHは当時の私にとって完璧に思えた。外見はイケメンだし、意見もしっかりとしている。有り体に言えばメロメロだったわけである。

 いろいろと助けてもらったしその時はスッキリしていたので、そこで終わっておけばよかったのだ。

 しかしHに対して好感をもっていた私は、また会おうという話をしてしまった。Hは恋人がいないと言っていたので、もしかしたら恋愛に発展するかも?という下心もあった。

 そしてきたるXデー。ご飯を食べてお酒を飲んで、そのままベッドにインだ。

 もちろん男二人、そのままおやすみとはならぬ。誘われてあれよあれよという間に、大人の階段を上ってしまったわけである!

 これで私はすっかり彼に熱をあげてしまった。

 ところで同時期に、私はツイッターでとある男の子と知り合っていた。

 仲良くなっていろいろと話すうちに、悩み相談もされるようになった。それはズバリ、恋人についてである。

 「なかなかうまくいかなくて、どうしたらいいのかなぁ」と不安がる彼の言葉に胸を痛め、いろいろと励ましの言葉をかける私。

 勘のいい読者様方なら、このあたりで何が起きるか察しているのではなかろうか。

 そう、彼の相談する「うまくいかない恋人」とは、Hのことだったのだ!

 これが発覚した瞬間の衝撃といったら、筆舌につくしがたい。

 強いて言うならいきなり冷水を浴びせかけられて固まっていたら落とし穴に落とされて、しかもその穴の中は冷凍庫なみに寒く浴びせかけられた水のせいで氷付けになってしまった、という感じだ。

 携帯を取り落としそうになりながらも、何も気づいてない彼を傷つけるわけにはいかぬと平静を装う。

 指先が震えるほど冷たくなってしまったが、ここまでならまだよかったのだ。ぜんぜんよくないけど、まぁ冷静ではあったのだ。

 すぐさまHに連絡をとる私。Hはバレたことに気づいたのか、バツの悪い様子である。

 そこで素直に電話をかけてきて、謝ってくれればよかったのである。悲しい気持ちでいっぱいではあったが、起きてしまったことは仕方ない。

 しかしその後Hのとった行動は、逃げの一手であった。

 連絡をとってものらりくらりと追及の手をかわし、電話の一本も寄こさない。

 その間にもHの恋人からの相談はあるし、恋以外にも複雑な事情を抱えていたりして、「こんな子を蔑ろにするなんて!」とHへの怒りは高まる。

 もともと忙しかったのに余計な問題まで抱え込んでしまって、友人に泣きつきながら日々をすごす。この時期に助けてくれた友人にはほんとうに感謝している。

 そしてついに電話をする日取りを決め、今か今かと連絡を待つ私。しかし待てど暮らせど鳴らない電話。

 キレた。

 たまっていたモノを全部メールに書き出して、ついでに罵りの言葉も添えて送りつけた。

 そのままの勢いでメールも連絡先も全消去だ。

 Hとはそれっきりの関係である。

 流れに任せて恋人でもない人と同じ布団に入ったり、キレてはちゃめちゃに罵ったりと、私にも至らないところはたくさんあった。

 正直今思い返しても、「ああ、あの頃の自分ってバカなガキだったな」という感じである。今もバカなガキだ。

 しかしいかに自分に至らないところがあったとしても、騙すのは騙すほうが百パーセント悪いのである。

 よく「高い授業料だと思って」という言葉があるが、私はアレが嫌いだ。なんで騙されたほうが責任まで背負わねばならんのか!騙すほうが悪い!

 Hはとある大手企業に就職した。そこで何年か働いた後は教師になりたいなどとのたまっていた。まさか生徒を騙して犯すなんてことはないと思いたいが、少なくとも「そういう心根をした人間」が教師になるというのに不信感を覚えずにはいられない。

 私たちは日常的にウソをついたり誤魔化したりするが、人の気持ちを踏みにじるようなウソをつく人間が子供にいい影響を与えるとは思えぬ。

 風の噂で、Hは今恋人がいることも普通に表に出してよろしくやっているらしい。それを聞いてしまって、私はとっても遣る瀬ない。

 彼にとっての今までの恋人っていったいなんだったのかなぁって考えちゃうのだ。

 だって今の恋人のことは表沙汰にして「ちゃんと」やっていっているのに、それまでの恋人は秘密だったのだ。それってそれまでの恋人は、はじめから居なかったことにする気満々だったみたいだ。

 騙された人は心の傷を負うのに、騙したほうは改心すればのうのうと幸せになれる。悪人の改心って美談として語られがちだけど、その悪人に何かを奪われた人たちってどうなるのだろうか。

 私は「騙された!」と気づいた時の悲しさや、のらりくらりとかわされ続けて向き合ってもらえなかった怒りを今でも抱えている。

 水に流したいなと思う。

 許すっていうと上からな感じがするし、それに今の自分ではまだまだ許せそうにない。

 だからできればとりあえず、水に流してしまいたい。

 それをするには私はまだ未熟だ。嫌いなヤツが幸せそうに生きてるって話を聞くと、「なんだよちくしょー不幸になれ!」と思ってしまう。

 社会では見てくれが悪かったり頭の回転が鈍いけど誠実な人よりも、不誠実でも見た目がよくて狡猾な人間のほうがうまく立ち回れるみたいだ。

 ……うーむ、まとめを書こうを思ったのだが、うまいまとめが浮かばない。どうやらこの事件は私の中で、いまだに落としどころを見つけられていないようだ。

 相手を騙したり、裏切ったり、人の気持ちを踏みにじったり。世の中にはそんなことばかりだ。

 だけど私は傷ついたとき、確かに友人に助けられた。酷い目にあわせる人間と同じくらい、助けてくれる人もいる。

 辛くて辛くて毎日泣いていたときに助けてくれた友人のことを思うと、なんとなく心が晴れる。それを支えにもうちょっとくらいはがんばろうと思える。

 自分で自分の悲しみを癒すことはできない。しかし身近な人が困ったときに、その人のことを助けてあげることはできるかもしれない。

 私を助けてくれた友人たちのように、私も誰かをほんの少しだけ支えられる人になりたい。