あなたのハートを銛で一突き

 風邪をひいた。

 涼しくなってきて調子に乗って窓を開けて寝たら、その次の日からのどの調子がおかしくなって、気がついたら咳が出るようになった。

 でもまぁ大丈夫かなーと思いながらいつも通りに生活していたら、今度は頭痛がするようになって、最終的に食欲がクライマックスだ。

 三口くらい食べては箸を置いてため息をつく。まるでクラスメイトに恋心を抱いてしまった純情な女子のようである。

 さすがにこりゃマズいと思って家にひきこもり(いつも通り)、寝たきり生活(いつも通り)を刊行した。

 では寝ているとき以外はなにをしていたのかというと、洗い物や部屋掃除に精を出してしまった。

 おかげで治るまでにやたらと時間がかかった。喉が痛くなってから二週間くらいはかかったのではなかろうか。

 昔からそうなのだが、私は「体調が悪いときほどがんばってしまう」という性質の人間なようである。

 たとえば今回は風邪をひいているにも関わらず、なぜか精力的にアルバイトをしてしまった。

 病気だし「体調悪いので休めますか?」くらい聞けばよかったのかもしれないが、病気のとき特有のハイテンションな私は「いける!」と思ってしまったのだ。

 ほかの人にうつすといけないのでマスクをつけ、寒気がするので厚着をして出かけた。「いやもうほんと無理しないで家で寝てなよ」という感じではあるが、その程度の言葉で止まる私ではない。

 死にそうな顔だが気分だけは意気揚々とアルバイト先に向かう。病気でもがんばってる自分に酔っている。

 もちろん咳は出るし頭は痛い。しゃべりながら「これあってるっけ?」と不安になってくる。生徒からしたらたまったもんじゃないだろう。

 いやむしろ「普段この先生うるさいけど今日は静かだな。のびのびできていいや」くらい思っていたかもしれない。

 まぁそんな有様で授業をしていたのだが、休み時間に生徒に声をかけられた。

 彼は野球部で背が低くて、犬っぽい顔をした短髪の男の子である。大学受験を控えていて最近やたらと熱心なのだが、この日は漢文に思い悩んでいたらしい。

 「先生、センターの漢文ってどうやったら点とれますか」

 飼い主になかなか「よし」といってもらえずにオヤツを前に切ない泣き声をあげる犬のような眼差しで質問されて、私の心はヒートアップだ。

 か、かわいい!かわいすぎる!

 「うーん、どんな問題だったの?」

 「あー、えっと、これです」

 「見せてみ」

 彼の座るイスの後ろから覆いかぶさるように、問題を読む。急接近する距離に風邪のせいだけじゃなくクラクラしてくる。

 はっ!?でもこんなマスクをしていたら彼の匂いが嗅げない!!おのれ風邪め……。

 冗談はさておき、休み時間だけではさすがに解説するのは厳しい問題だった。

 いつもの私ならさっさと解答を見て、それと照らし合わせながらサラッと解説をすましていたところだろう。

 しかし今の私は風邪をひいた、やる気に満ち溢れる私だ。

 「任せといて」という頼もしい言葉とともに、私は彼から問題をうけとった。その問題を次の授業中に隙間を見つけながら解く。

 生徒の問題の丸付けや解説と平行しながらな上に、もやのかかったような脳みそで、必死になって文字を追う。

 なぜそんなに頑張るのかって?年下のかわいい男の子の笑顔を見るためって以外に、理由が必要なのかよ(シニカルな笑み)。

 というわけで授業を進めながらもなんとか問題を解き終えた私は、その日の授業が終わった後で彼に解説をしにいった。

 まともな受験問題を解くのは久しぶりだったのだが、なんとか全問正解だ。先生の面目を保ったというわけである。

 そこからはご褒美タイム(?)である。二人きりのブースで個人レッスンだぜ、ぐしし。

 彼は数学メインの子でなかなか授業にあたらないので、こんな風に二人で話せるのはなかなかレアなのだ。きっと病気でも頑張ってる私を、神様が認めてくれたに違いない。

 そんな感じで九月末をすごして、気がつけばもう十月だ。え、マジで?

 というか今日から十月ということに気づいたのが昨日だ。日付の感覚が消えうせている。

 昨日正月だったと思ったら、三ヶ月後にはもう大晦日だ。毎年こんなんだったっけ。

 いやそんなはずはない。いつもはもっと一年が長い。なんでかなーと考えてみたけど、原因なんて一つしか浮かばない。

 なぜって?引きこもってるからだよ!

 毎日毎日部屋に引きこもって刺激のない毎日を送っていれば、イヤでも日々は加速していく。

 今週でかけたのなんて、買い物とアルバイト以外にないし。

 このままでは部屋でドンドン干からびておじいちゃんになってしまう気がする。それは避けたい。

 今はまだピチピチの二十代(軽く年をごまかす)だけど、ウカウカしてたらあっという間にオッサンだ。そしたらおじいちゃんまでノンストップだ。

 かくなる上は、ステキな恋人を捕まえて日々を刺激的にしてもらうしかないな。

 でもそのためにはまず、ステキな人と出会わねば。

 うーん、そういうのどうやって出会うんだっけ?授業中に落としたシャーペンを拾ってもらって?あ、食パンをくわえて町を走る?

 ダメだ、圧倒的に出会いの場がない。出会いについての発想力が貧困なんじゃなくて、"私"が誰かといい感じに出会ってるシーンが現実味なさすぎて想像できない。

 私がステキな人と出会って恋に落ちるのと、銛を持って海にもぐって獲物をとってくることができる可能性だったら、確実に銛のほうが可能性がある。

 だって獲物をとることなら努力すればできそうだけど、恋って努力あんまり関係なさそうだし。あ、銛を持ってステキな人を捕らえる……、ダメだ!それは傷害事件だ!

 十月初日にして自分の人生を憂えています。いっそ漁師でも目指せばいいのかしら。そしたら海で浅黒くて逞しいむくつけき男と、恋という名の海に潜ることになったりしないかな。そして愛という名の荒波に揉まれるのだ。

 ああ、でも季節はこれから秋。海に入るにはちと寒い。

 今から来年の夏に向けて体を鍛え、ネットで銛を購入する所存だ。

 海男!待ってろよ!