腹痛クライシス

 アルバイト先が駅のすぐ近くにあるので、窓から新幹線乗り場や駅への道がよく見える。

 私は働いてる間ボーッとしていることが多くて、そういう時はだいたい道ゆく人を眺めている。それなりに大きな駅なので、いろんな人がいて面白い。

 学校帰りの学生は買い食いしたりしながらのんびり歩く。時々電車の時間に遅れそうなのか、全力疾走している子もいる。

 スーツにカバンをさげた社会人らしき人たちは、大またでズンズン進んでいく。おばさんたちは彼らに追い抜かされながら、周りを気にせずなにやらおしゃべりに夢中だ。

 他にもカップルで仲よさそうに話していたり、なにやら本を読みながら背を丸めて歩いている人もいる。

 そういう人たちを見ながら自分は駅を歩いてるときどんなんだろうなと考えてみたら、昔は電車が苦手だったことを思い出した。

 今でもそうだが私はお腹がすごーく弱い。ちょっとしたプレッシャーですぐにエマージェンシーを訴えてくる。

 思春期の女子なみに敏感なのだ。

 そんな具合だから、電車やらバスやらのトイレがついてない公共交通機関を使うと、「お腹が痛くなったらどうしよう」と不安になる。

 そしてその不安でほんとうにお腹が痛くなってしまう。自分の毒でマヒしてしまうフグみたいだ。

 幸いなことに、高校までは自転車で通える範囲の学校に通えていた。いざとなれば道の途中にコンビニもあったし、安心だった。

 しかし十八歳まで電車やバスにほとんど乗らずに過ごしてきた私に危機が訪れる。そう、受験だ。

 受験会場は電車にのって二十分ほどの市内にあった。そのため私は朝はやくから電車に乗らねばならなかった。

 しかも電車には、受験生がたくさん乗っているのだ。もちろんその中には友達だっているし、学校で見た顔だっている。

 そんなところでお腹が痛くなって「コト」を起こしてみろ、末代まで語り継がれること請け合いだ!

 おまけに電車のあとは会場までの臨時バスが待っている。ダブルパンチだ。

 当時の私はほとんど絶望していた。

 そんなとき、同じクラスで仲良くしていた友達が声をかけてくれた。

 「お前いっつも腹痛そうだし、受験やべーんじゃねん」

 「うん……」

 「まぁ早めの電車でいって、いざとなったら途中の駅で降りれば?ていうかいっしょに行こうぜ!」

 なぜだかわからないが、この言葉で急に肩の力が抜けた。

 なんというか、「気にかけてくれている人がいるし、大丈夫だ」という気持ちになったのだ。それからこんなメンドクサイ私でも、気にせずいっしょに行こうと誘ってくれる人がいるという事実に救われた。

 そんなわけで、その友人といっしょに受験会場に向かうことになった。

 当日の朝は恐れていた通りにお腹が痛くて、家を出るまでに三回トイレに篭った。ギリギリの時間まで粘って駅へと向かう。

 待ち合わせ場所に彼はもう来ていて、いつもどおりの顔で「おはよう」と声をかけてくれた。

 私は真っ青な顔で、「お、おはよう……」と息も絶え絶えに返したような気がする。

 それから腹が痛くてつり革にぶらさがっているような状態の私を励ましながら、受験会場までつれていってくれた彼には感謝している。

 どれだけ感謝してもしたりないくらいだ、彼が居なければ私は受験会場にすらたどり着けなかったかもしれない。

 ここまで書いていてまた思い出したことがある。学校でいつトイレに行くかという問題だ。

 昔の私は、休み時間にトイレの個室に入るのがものすごくイヤだった。トイレって絶対誰かがくるし、そしたら自分が個室に入っているのがバレるからだ。

 「うんこたれ」とかあだ名を付けられたらたまらない、耐えられない!と思っていた。

 それに個室に入っているときに、外で同級生がお喋りしている声が聞こえるのも居心地が悪い。自分の排泄音が聞こえてしまうのもイヤだ。

 トイレでくらいのびのびと用を足したいのである。

 というわけで、休み時間にトイレに入るのは論外だ。

 となればあとは授業中しかない。

 でも「お腹が痛いからトイレいきます」と先生に言えば、クラス中に私が大便をしに行っているのがバレてしまう。

 そこで私は一計を案じた。

 授業中に腹痛が耐えられなくなったら、「気分が悪いので保健室にいきます」と言っていたのである。

 なんというか、若さゆえの浅はかさが垣間見える発言だ。でも必死だったから仕方ない。

 これなら保健室に行く間にトイレにいけるし、用を足してからは保健室でゆっくり横になってから帰ってくればいい。

 腹痛が耐えられなくなるのは一日に一回くらいだったので、最悪の場合はこの手段を使っていた。まさに最後の手段である。

 それ以外にもわざわざ人気のない別館のトイレまで行ったり、下痢止めの薬を常備したりと、涙ぐましい努力をしていた。

 今になって思えば、クラスメイトには私がいつも腹痛でトイレに篭ってることなんてモロバレだっただろう。

 それでも変なあだ名をつけずに私と付き合ってくれていて、いい人たちだったなぁと思う。

 学校ってかなり閉ざされた場所だ。クラスメイトにいじめを受けていたって、誰にも気づいてもらえない。

 子どもは大人が思っている以上に狡猾で、その上陰湿な部分を持ち合わせている。

 学校以外にも世界は広がっていることを知らない彼らは、学校内での立場を最優先にする。学校で自分の居場所を失うことは、世界を失ってしまうことにも等しいからだ。

 だから自分が下に落ちないようにあらかじめ他人をスケープゴートにするし、どういう人間が身代わりにしやすいかもよくわかっている。

 子どもをみくびっている大人も多いから、クラスという枠組みの中での格付けはしめやかに秘密裏に行われ、誰にも気づかれない。私もそこから逃れたくて必死だった。

 私は学校ピラミッドの中で下のほうにいたけど、その中でさらに下をつくって自分はまだマシだと思い込もうとしていた。

 私のお腹が痛むようになったのは、そのヒエラルキーを意識するようになってからだった。

 辛くて逃れたいと願いながら、他人を蹴落とすことをやめられない。これって相当なストレスだったと思うのだ。

 あの頃の痛みを、私はたぶんいまでも抱えている。

 昔と比べて私はずいぶん大人になった。世界がたくさんあることを知って、その中には自分を受け入れてくれる人がいることを学んだ。それでも私のお腹はことあるごとに痛む。

 初めての人と会うとき、話したくない人と話さなければならないとき、嫌われたくない人に会うとき。

 ほんとはいろんな人に会いたいと思っているし、どんどん出かけてみたいとも思っている。

 学校ピラミッドも腹痛も知らなかったころの私は、三輪車でどこまでもでかけていって親に怒られるような子どもだったのだ。

 生きていると自分を曲げたり隠したりしなきゃいけないことがあって、そうするうちに私たちは自分を見失ってしまうのだろう。

 これから社会に出てもっと年をとれば、それがさらに増えるかもしれない。人間関係が増えれば増えるほど、悩みの種も増えていく。

 だけど自分を助けてくれた人たちのことを思い出せば、ちょっとは頑張れそうだ。私たちは他人に傷つけられるけど、助けられもするのだ。

 明日のことはわからないけど、今日一日をなんとか乗り越えればいい。そうやって日々を繋げばいい。

 私はたぶん死ぬまで生きることだろう。人生でどんな大事件が起きても、次の日にはたぶんトイレに行く。元気だったら揚げ物を食べるかもしれない。

 ストレスとか悲しいことにめげて「おなかいたい……おうち帰りたい……」と涙目になりながらも、えっちらおっちら生きていく。

 それくらいの情けなさが、私にはお似合いみたいだ。