いけませんお兄さん、こんなところで…
知人の森ちゃんから連絡がきた。
「霞ちゃん次のお休みひま?」
「いまのところ予定ははいってない」
「ちょうどよかった!じゃあ霞ちゃんちで酒飲みながら鍋しよう」
おいおい、私はここのところ睡眠不足、食欲不振、腹痛の三重苦に襲われてるんだぜ?
そんな私がみんなと鍋なんて食べるわけがなかろうよ……。
「わかった、掃除しとくね!」
酒と食い物の欲求には抗えないのだ(ヤケクソ)。
ほら、鍋って野菜とかたくさんはいってるし、体に優しそうじゃん?最後は雑炊にできておなかにも親切。
お酒で体もあったまるし、血流もよくなる。
つまりいいことづくめである。
さて、そのためにはまず散らかりきった自分の部屋を掃除せねばならんわけだが……私の部屋を勝手に散らかしたのは誰だ。
気がついたら本は床に散らばってるし、机の上には謎の袋が散乱している。棚にしまっておいたはずの裁縫箱やらまで、飛び出してきている始末だ。
ズボラな私が裁縫なんぞするわけない。つまり私の部屋で裁縫をした者が、いる。
妖精さんがきっとほつれかけた服のボタンをとめてくれたに違いないということにして、もくもくと部屋を片付ける。
おかしい、掃除がちっともはかどらない。きっと下のほうから出てきた「赤毛のアン」を読み始めてしまったせいだ。
ちょうどアンが空想に夢中になって食器洗いをすっかり忘れてしまうシーンで、絶賛逃避中の私はすっかりアンと一心同体だ。
話が一段落ついたところで、無理やり本から視線を引き剥がして部屋掃除の続きを始める。
そして下から出てきた漫画をまた読み始めて、以下三回ほどループ。
進まない!掃除が遅々として進まない!
諦めて本は部屋の隅に積み上げ、とりあえず掃除機とコロコロをかけて友人たちの襲来に備える。
具材は買ってきてくれるらしいし、私は座して待つのみだ。
ゴロゴロと綺麗になった床を転がりながら本を読んで待つ。
ピンコーン。
待つこと三十分ほど。ベルがなったので外を見たら友人たちが到着していた。
「いらっしゃい」とドアを開けて招き入れる。
「はろー、鍋がきたよー」「お邪魔しまーす」
大量のレジ袋を抱えた愉快な仲間たちが入ってくる。どんだけ食べるつもりなんだ。
彼らが自由なのはいつものことなので、私は部屋の奥にすわって鍋が煮えるのを待つ。待ってるだけでご飯が出てくるなんてすばらしい。
鍋はいい具合に温まり、よく冷えた酒もゾロゾロと机の上に並んで、酒席の夜はふけていくのであった。
つまみに用意されたながーいチョコレートケーキやタルトもすっかりみんなの胃に分配され、すばらしい夜だった。
次の日、私は実家に帰るため駅へと向かった。
母から「お父さん帰ってくるんだから帰ってきなさい」と指令がくだったのである。
ギリギリまでダラダラしていたら「あんたいつ着くの!?」と催促の連絡がきたので、慌てて家を出る。うー、めんどくさい。
せっかく駅まで行くので、ついでに本屋によって電車の中で読む本を買う。あ、あの漫画もこの漫画も新刊が出てる!でもお金がない。なんということだ。
歯軋りしながら一冊だけ漫画を買って、電車に乗り込む。
涼しくなってきたとはいえ日差しも空もまだまだ夏の感じが色濃い。抜けるような青空に眩しい白い雲がよく映えている。
最初は外出に乗り気じゃなかったけど、俄然テンションがあがってくる。やっぱり人間外に出て動かなくちゃね!
駅について母と合流すると、「買い物がしたい!」と母に連れられてそのままショッピングモールへ。
母親の買い物に付き合っていてもすることがないので、私は私でフラフラと店内をうろつきまわる。
もうすぐ秋だし秋物でも探そうかなぁと思って服を焦っていると、背が低くて童顔なお兄さんが近づいてきた。
爽やかな笑顔で、「秋物をお探しですか?」と声をかけられる。
「いえ、探していたのはあなたです」
「えっ、な、なにを……」
頬を赤らめて顔を逸らそうとする店員の頬に手をあてて、しっかりと視線を合わせる。
「あ、あの、困りますお客様」
「どうして?ぼくはあなたみたいな人をずっと探していた。あなたはとても魅力的だ」
「し、仕事中ですし」と誤魔化すように言うのを聞いて、それなら仕事が終わるまで待っていると伝えてそっと店を出た。
恥ずかしがる表情もかわいい。
彼の仕事が終わるのを待って、仕事場から出てきたところを捕まえる。
人気がないのを確認してそっと手を握ると、一瞬だけ抵抗したもののすぐに握り返してきた。
「あ、あの、一体どこに向かうんですか?」
「そこの公園で少しおしゃべりしましょう」
にっこりと笑って、お姫様をエスコートするようにベンチまでお連れする。
ベンチをさして「お座りください」とおどけて見せたら、それまでずっと緊張した表情だったのが解けて笑顔になる。
「とってもかわいい笑顔ですね」
「えっ、あ、いや、そんな」
照れて下を向こうとするのを、アゴをつかんで止める。そのまま上を向かせて触れるように唇を奪った。
「な、なにを……!?」
「なにをって、あなたに気があるのをあからさまにしてる私に、こんなところまでホイホイついてきて。することなんて一つに決まってるじゃないですか」
「そんな、困ります!」
「ぼくだって困ります」
いたずらっぽく笑いながらのしかかるように抱きしめる。彼がかすかに身を硬くするのが伝わってくる。
優しく背中をさすりながら「大丈夫ですよ」と耳元で囁く。そのまま彼の白い首筋に口付けをすると、彼はその身を震わせて……。
「~~~で、今年の流行はミリタリーなのでこんな服もオススメですね」
「あっ、へっ!?ミリタリーが流行りなんですか~」
妄想の国から店員の言葉で現実に引き戻される。
いけねぇいけねぇ。店員さん、あんたがあんまりにもかわいいもんだからオレァ興奮しちまったぜぇ。
私の邪な気配を察知したのか、店員のお兄さんはハンガーを取り落とした。
あわてて拾おうとすると、同じように頭を下げたお兄さんと額をぶつけあってしまう。照れ笑いをかわす私たち。し、新婚かよっ!!
そのまま服をもって試着室まで連れて行ってくれる。シャツを羽織ってみるだけだったので、上着を壁にかけて羽織ってみる。うーん、乗っかってる顔が私じゃなかったらオシャレだな。
微妙な表情になっていると、「前しめたほうがいいかもしれないですね」とお兄さんが後ろから教えてくれる。
そして背中側から私を抱きしめるようにして、ボタンを留め始めた。
お、お兄さんそんなっ!それはサービスが過ぎてやしませんか!
ボタンを留めながらもお兄さんはしゃべり続けるので、首筋に吐息がかかる。触れているところからも体温が伝わってきて、なんだかとっても淫靡な気分だ。
いけないわ。私たちこんな昼日中のお店の中で、こんなにも密着しちゃあ。
先ほどまでの下卑た妄想もどこへやら、昭和時代の中学生女子のような純真さを花開かせる私と、ぜんぜん関係なく下までボタンを留める店員。
おまけにその後ズボンやら靴やらまで持ってきて、裾を折ったり靴をはかせたりしてくれた。恐らく彼自身の体臭であろう匂いが漂ってきて、昇天しそうになる。
全身コーディネイトされた後で、「こっちの方が似合ってますよ」と笑顔を向けられ、お買い上げしてしまいました。
だってあんな笑顔で似合ってると笑いかけられたもんだから、なんだか自分がイケてるような気がしてしまったんだもん。
服屋の店員侮りがたし!否!私はこの日、自分の心に負けたのだ……。
こうなったら体を鍛えて、あの服に見合う自分になってみせる予定だ。その日までもう服は買わんぞ!
そう決めた直後に、「あんた秋物もってないでしょ!買ってあげるわよ!」と母に連れられて別のお店へ。そこでも上下一そろい買ってしまったことだよ。
私の決心、五分で粉砕。
なにはともあれ、たまに出かけてみればいいこともあるもんである。イケメン店員に抱きしめられて首筋に吐息をかけられたりな。
記憶の捏造?なにを言っているんだ、私は"起こったこと"しか話しておらん!
秋までに健康で逞しい体を手にするために、努力する所存である。
この決心は五分で粉砕されないことを祈ろう。