泣いたっていいじゃない、人間だもの
里帰りから戻ってからこちら、平穏な日々を送っている。大学に入ってから一人暮らしを始めて分かったことが一つある。
私は一人の生活が性にあっているということだ。
例えば私は人と食事をするのが苦手だ。それは家族も例外ではない。
食べるのが遅いから自分のペースでゆっくり食べたいし、ちまちま食べるから文句を言われないか不安になってしまう。
それにお風呂に入ってから寝るまでの時間は、誰にも邪魔されずに自分のしたいことをしたい。
話しかけられて気を使ったり、「あぁめんどくさい」と思ってしまって良心の呵責を感じたりしたくないのである。もうそっとしておいてよ!と叫びたくなってしまう。
もちろんそのあたりを分かって、お互いにいい意味で関わりすぎずにいられる関係なら、その限りではない。
それでもやっぱり、夜寝るときは一人の部屋でほっと一息つきたいなぁと思わずにはいられない。誰かがいるとその人の立てる物音とかが気になって、なんだか落ち着かないのだ。
寝るときはやっぱり自由に足をもぞもぞさせたり、気兼ねなくお尻をかいたりしながら寝たいのである。
そんな私ではあるが、決して人と遊ぶのが嫌いなわけではない。この間は、友人と映画を観てきた。ジブリの最新作、「思い出のマーニー」だ。
以下ネタバレを含むので、読者諸君は注意されたし。
この映画は、喘息を抱えた周囲になじめない女の子、杏奈の物語だ。彼女は冒頭で語る。
「世界には魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、私は外側の人間」「でも、そんなのはどうでもいいの。わたしは、わたしが嫌い」
画面のこちら側で「わかる、わかるよ杏奈」と頷きまくりながら、私は確信していた。この映画、私が好きなやつだ!
輪の内側と外側を意識してしまう自分。分かっていても、輪の内側に飛び込んでいけない自分。そして輪の存在なんかよりも、ぐだぐだとそんなことを考えてしまう自分がイヤで仕方なかったことを思い出す。
杏奈は療養のために、田舎に住む親戚の大岩夫妻に預けられる。この二人は見ていて気持ちよくなるほど大らかだ。
豊かな自然と大らかな二人に囲まれ、杏奈は少しだけほっとできる日々を送りはじめる。
しかし安らぎもつかの間だ。
大らかでおせっかいという素晴らしく厄介な性格の大岩夫人は、杏奈を七夕祭りへと送り出す。信子という同年代の女の子と回るという約束つきで!
杏奈は気乗りしないのだが、断ることもできずに女の子たちと夜のお祭りへ出かけることになる。
悩みこむ杏奈は口数も少なく時間をすごす。なんとか彼女たちをやり過ごし、そそくさと短冊に自分の願い事をつるそうとする。彼女の願いは、「普通に暮らせますように」だ。
しかしそこは相手も女の子。しかも田舎のおせっかいな女の子だ。
うつむき加減な杏奈にも構わず、「なんのお願い事を書いたの?見せてよ!」なんて無邪気に杏奈の短冊を取り上げてしまう!
私はとにかく見ていてハラハラしてしまう。仲良くなろうという率直さと、相手への興味はわかるけど、短冊取り上げちゃうの?
ていうか杏奈もなんとか言いなよ!悪気はないんだろうし、冗談めかしてさ!
そんな私の心配(?)も虚しく、杏奈はついに叫ぶ。
「ほっといてよ!このふとっちょブタ!」
映画を見ている私も、信子の後ろに居た女の子もびっくりして固まってしまう。な、なんてことを……。
あわあわとしながら見入っていたら、信子はきっぱりといい放った。
「ふうん。普通にって意味がわかったわ」「でも隠したってムダよ、あんたはあんたの通りに見えてるんだから」「さ、これでおしまい!仲直りしましょ?」
あ、あんた男だよ……。いや女の子なんだけどサ。
怒りに任せて怒鳴り散らすのではなく、ただまっすぐに相手の間違いを伝える。そしてそれすらも飲み込んで、相手を認める。
大人でも難しいことをいとも簡単にやってのける彼女の気風のよさに、胸のすく思いだ。
そして言葉がまた秀逸だ。「あんたはあんたの通りに見えてるんだから」って、ほんとうにその通りだと思う。
私たちはたいていの場合自分を取り繕い、ごまかし、ごまかしていることから目を逸らして生きている。しかしまっすぐに見返せば、私たちは私たちの通りに見えているのだろう。
私は、私を自分の通りに見たいと思う。いい悪いではなく、ただありのままの自分として。
そして物語はさらに進み杏奈はマーニーと出会う。
これから杏奈がどう変わっていくのかが気になるなら、ぜひともその目で確かめてほしい。さすがに核心までここで書いてしまうのは気が引けるのでな。
それにしても私は冒頭の杏奈のセリフと、信子の言い放った言葉が好きだ。印象に残ったシーンはいろいろあるが、考えさせられるのはこの二つの言葉である。
私の人生において魔法の輪は、見えないけれどいつだって"そこ"にあり続けてきた疎ましいものである。
この輪の問題は、ずーっと内側にいる人にはその存在がわからないところだ。
きっと輪の内側はマジックミラーのようになっていて、どこまでも楽しそうな世界が見える。だけどひとたび外に出てしまえば、楽しげで明るい内側と薄暗くてしみったれた静かさに満ちた外側を意識せずにはいられない。
おまけにこの輪は「ある」と思えばあるし、「ない」と思えば消えてしまうのだ。まさに魔法のように。
あるようなないような曖昧なものに振り回されてきて、きっと今も心のどこかでひっかかっている。一人が好きな私は、もしかしたらその不確かな魔法から逃げているのかもしれないとも思う。
だって一人でいれば、輪の存在を意識せずに済むからな。
人間関係に悩んだことのある人なら、きっと杏奈の悩みに共感できることだろう。
杏奈は在りし日の「私」であり、「あなた」でもあるのだ。
余談だが、友人と私は子どももたくさん観にきている映画館の中で、泣きに泣いた。鼻をすすりながら、他に泣いているとおぼしき人もいない中で泣きまくった。
泣きながら「もう一回見たいね」という話をし、そして実際に二回目を観にいった。そして泣いた。一回目よりも泣いた。
いいところが目白押しの映画だ。冒頭で感じた通り私はこの映画を好きになった。
そして今、友人と三度目を観にいくかどうか画策中である。