読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

田舎ってやつは

 米を炊こうと米びつを開いたら、中を羽虫が歩いていた。思わず「うぎゃー!!」と悲鳴をあげ、叩きつけるようにフタを閉じる。

 な、なんで!?なんで米に虫が!?

 前代未聞の大事件だ。大慌てで祖母に電話をかけた。

 「もしもし、おばあちゃん!?」

 「あら、どうしたの」

 「どうしたもこうしたもないよ!米に!米に虫が!」

 「あれまあ」

 孫が半狂乱だというのに、祖母はいつも通りの落ち着きっぷり。これが田舎暮らしで身につく不動心か。

 祖母はすっかり落ち着きをなくしてしまった私に、「米に虫が湧いたなら、いつもより念入りに洗って食べなさい」と有難い言葉を残してくれた。

 ありがとよ、ばあちゃん。だがな、私は勢い余って米を捨てちまったんだ。

 お米の神様ごめんなさい、もう二度と虫を湧かせたりしません。

 そんなわけで数日ほど、米から湧いた虫が部屋を飛び交うのに悩まされていた。見つけるたびに駆除しているのに、後から後から湧いてくる。

 「おのれ虫ども、駆逐してやる!」という志を胸に、大掃除を敢行した。まさかちょっと米を適当に扱っただけで、ここまで苦しまされるとは。

 食べ物を雑に扱ってはいけないということを、痛感した次第である。

 ようやっと部屋に黒い影が見られなくなったと同時期に、世間はお盆に入ったらしい。父親から「里帰りするからこい」という連絡がきた。

 夏の暑さにやられてバテてはいたが、盆と正月くらいは祖父母孝行すべきだ。私の常識がそう囁いたので、重たい体を動かして、父方の実家に帰った。私は車の中で爆睡していて、気がついたら到着していたという有様だが。

 重たい体を動かして、というより、重たい体を運んでもらって、といったほうが正しい。

 

 実家の近所で目を覚まして外を見ると、なんとコンビニができていた。山に囲まれた真っ暗な田舎の道に、煌々と光るコンビニの白い光。似つかわしくなくて、違和感を覚えてしまう。

 買い物がしたいという父について、とりあえず中に入る。品揃えもうちの近所と変わらない。世界はどんどん変わっていくんだなぁ。

 とりあえず雑誌を物色していると、なんとなく目の前の窓ガラスが騒がしいことに気づいた。うーん、なんか汚れてるっていうか、蠢いてるっていうか。

 「うぎゃー!!(二回目)」

 よくよく見れば、窓ガラスいっぱいに虫が這い回っている!!バッタに、カメムシに、峨に、蜘蛛!!

 とっさに華麗なバックステップで身を離したら、後ろの棚に足がぶつかって商品を落としてしまった。周囲から向けられる「やぁねぇ、なにかしらあの人」という視線。

 やめてください、そんな目でみないで!ていうかあんたらの方こそ、これに驚愕しないのか!

 窓ガラスの内側から目撃してしまったので、普段は見えない虫の裏側がうげげげげ。

 浦島太郎は竜宮城を絵にもかけない美しさと言ったが、この眺めは言葉にできないおぞましさだ。全身が粟立つ。

 真っ暗な田舎の道にいきなりコンビニができたら、どういうことになるのかよくわかった。

 昔の私は、今ほどインドア派ではなかった。セミを手づかみで捕らえては虫かごにぎゅうぎゅう詰めにしたり、バッタをつかまえて友達と大きさ比べをしたりしていた。

 まぁ世間一般でいう男の子がやりそうなことは、大体してきたつもりだ。

 それが今となっては、なぜこんなにも虫嫌いになってしまったのか。不思議だ。

 大体の人間は、子どものころに泥だんごをつくり、虫をわしづかみ、服が汚れるのも構わずに跳ね回っていたはずだ。

 それが年をとると、まるでそんなことなかったかのようにお高くとまって生活している。あまつさえ、子どもに「虫なんて触るのはやめなさい」と、つけつけ言う始末だ。

 みんな子どもだったことを忘れて生きている。

 私は、一度気づいてしまえば忘れられない虫たちの存在に、びくびくとしながら扉を抜けた。一目散にコンビニから離れる。十分に距離をとってから、車に向かった。

 もう二度とこんな思いはしたくないものだ。あんなに大量の虫をまとめてみたのは、人生初であった。

 大事件を乗り越えながらも、その後なんとか実家にたどり着いた。晩ご飯をいただいて、早々に布団にもぐりこむ。

 長旅は疲れたのう。ぐーすかぴー。

 そして次の日、久しぶりに祖父母宅の近所を散歩してみた。というのも、祖母から「あんたが昔仲良くしよったYくん、いまでもこの辺に住んどるよ」という情報をもらったからだ。

 え、直接家に行けばいいだろって?まさか私にそんなことができようはずもない。

 昔仲良くしていたといっても、それは小学生のころの話だ。一人で遊んでいたら、たまたまその子たちが近くを通りかかって、なんとなく仲間にいれてもらったのが始まりだったような気がする。

 お互いに年も名前も知らなくてもいっしょに遊べる、というのが当時の私には新鮮だった。

 あれは寒い時期で、近くにある商店で肉まんを買って食べるのが彼らの習慣だったらしい。お金をもってない私に、「じゃあおごるよ」と屈託なく笑って肉まんをくれたのが、そのYくんだ。

 彼なら、数年のブランクなんてなかったかのように、昔みたいに笑いながら話してくれるかも。そう期待する一方で、もし忘れられてたり、どうでもいいと思われていたらどうしようと怖気づいてしまった。

 その結果が、近所を徘徊しつつ遭遇しないか試すという行動になった。ストーカーじみている。

 家まで会いに行ってそっけなくされたら、きっととても悲しい。でも道端で偶然出あっただけなら、言い訳も立つ。

 チキンすぎて涙がでてきたぜ、トホホ。もういっそ玄関のベルを鳴らしてやればよかった。どうしてこんなにビビりなのか。

 散歩しながら、自分の情けなさが悲しくなってくる。

 ぼんやりぼんやり歩いていると、昔よく遊んでいた川べりに出た。夏になればYくんを含めた近所の子どもたち連合で、ザブザブと乗り込んだのを覚えている。

 冷たい水が心地よくて、ズボンのすそが濡れるのも構わずに魚を追いかけたりした思い出の川。苦情でも出たのか、今ではすっかり舗装されて下まで降りられなくなっていた。

 誰も降りる人がいないせいか丈の高い草が生い茂っている。舗装された周囲はずっとキレイになっているはずなのに、川自体は荒れ果てて見えた。

 家でも道でも川や畑でも、人が踏み入らなくなった場所は荒れていくんだなあと実感した。

 散歩をしていて、何度も自分の子ども時代の気配を感じた。祖父母の家とその周りには、小さな私の亡霊が住み着いているのだ。

 小学校の青い屋根のある自転車置き場。いまはもう閉店してしまった商店。よく待ち合わせをしていた、公衆電話のある曲がり角。

 近くを通りかかると、幼い私がすれ違うように駆けていく。すれ違い様に吹き抜ける風に、昔のことを思い出す。

 あーいやだ!勉強も就職も、もうたくさん!

 全てをボイコットしてしまいたい衝動にかられる。タイムマシンよりも、時間を巻き戻せる機械がほしい。

 長々と散歩をして帰ったら、祖母が声をかけてきた。

 「おかえり、Yくんには会えた?」

 「うーん、会えたような、会えなかったような」と、曖昧に返す。

 今の彼には会えなかったが、昔の彼には確かに会えた。隣にはぼくが居て、ケラケラ笑いながらいっしょに走っている。

 少年、君の未来はなかなかめんどくさいようだぞ。

 マジメくさって頭の中で語りかけてみたら、「まぁほどほどにがんばれ」と当時の自分に言われたような気がした。