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将来よりも今が心配

日常

 昨日、懐かしい友人が夢に出てきた。

 彼とは小学校から高校まで同じ学校だった。クラスが同じになって仲良くなったり、離れてなんとなく疎遠になったりということが続いていた。

 高校三年生のときに同じクラスになって、同じグループでわりと仲良くしていたのだが、大学に入ってからはすっかり音信普通だった。

 夢の中で私は、なにやら学校の臨時講師のようなことをしていたらしい。それが終わる段になって、生徒たちに花束をもらった。

 たいそう嬉しくて、花束を抱きしめながら「ありがとう!ありがとう!」と叫んだ。アイドルのライブかよ。

 ところが私は、なにかの拍子にその花束をなくしてしまう。花束をなくすって、よっぽどの間抜けではないだろうか。まぁ夢の中だからな。

 慌てて花束を探しまくり、見つからなくて困ってしまったところに、その彼が登場するのだ。

 颯爽と登場して、花束を手渡してくれる彼。思わず花束を抱きしめて、ありがとうとお礼を言う私。

 すると彼は、困ったような照れたような顔をして、とつとつと話し始めた。

 「その、オレさ、お前のこと好きかも。付き合ってくれねぇ?」

 「えっ、えっと…」

 「うわ、ごめん、やっぱ今のナシで!」

 「いや、待って待って!違うんだって、その、すっごい嬉しくて、なんて言えばいいかわかんなくて…これ、夢じゃないよね…?」

 夢でした。

 

 起きてから思わず笑ってしまった。夢の中で「夢じゃないよね?」とか言っちゃうのって、お話の中だけだとおもっていた。

 現実にもこんなことあるんだなぁ、たまげたなぁ。

 というわけで、こんな夢をみたのはなぜかと考えてみた。

 まず私は、何かしらの職につきたい。そしてその職で、誰かからの尊敬を勝ち得つつ、さっさと辞めたいと考えている。

 さらに運命的な出会いをして、恋人をつくりたいとも思っている。

 自らの不安定さややる気のなさに目をつぶり、一足飛びに恋人だのなんだの。我ながらなんという軟弱さだ!

 それはそれとして、これも何かの縁と思い、その友人に久しぶりに電話をかけてみた。

 「…もしもし(低い声」

 「あ、もしもし?久しぶり~、元気してる?」

 「うーん、あまり元気ではないなぁ」

 「え、どうしたの」

 「まぁちょっと、半不眠症みたいになってな」

 「え、大丈夫かよ」

 なんと久しぶりに話した彼は、どう生きるべきか悩み哲学書などを読み始めた結果、不眠症のようになってしまったらしい。

 おまけに古典文学縛りで、一日一冊本を読んでいるとか。なんというか、昔から文学に傾倒している節があったが、それがいよいよ高まってしまっている感じである。

 「オレ東京にきてさぁ、夜に電車に乗ったりすると、いっぱいいるんだよ。死んだ魚みたいな目をしたおっさんが。それ見てると、オレはこれからなんのために生きるんだろうなと思うわけよ」

 「お、おう、なんの話始まった?」

 「まぁ聞けよ。今の世の中でいう、『幸せ』ってなんだ?就職して、そこそこの金を稼いで、結婚して、子どもを産んで、一軒屋でも建てて、子どもを育てて死ぬ。それってほんとうに幸せか?」

 「うーん、まぁそれってほんとは人それぞれだよね」

 「そう、人それぞれだ。でも今の社会で、新卒で就職できんかったらどうなる?新卒ってめっちゃ価値が高いじゃん」

 「まぁ落ちこぼれみたいに言われるよな」

 「落伍者扱いだよな。それで正社員に雇ってもらえなくなる。だから必死で就職しようとして、五十も六十も面接うけて、それでやっと一つ通るか通らないかだ。意味わからんくね?」

 「そりゃそうだけど、世の中そういう風にできちゃってるじゃん」

 「そうなんだよなー。オレはそれに納得いかないから、『自分の』幸せをみつけてぇよ」

 ぼやくような彼の言葉に、私はハッとした。

 幸せの形は人それぞれで、もっと色んなあり方があっていいのだ。しかし今の社会では、それは難しい。

 私たちは生きるためには働かねばならない。そして、たいていの人が一生を同じ会社で過ごす。

 会社の選択を誤ればもちろん幸せにはなれないだろう。そもそもその会社を選ぶのだって、社会のことをちっとも知らない学生時代の自分なのだ。

 会社のほうでも情報を全て開示するわけではない。入ってみて実情が違ったということだって、よくある。

 なんとか会社に入っても、生きるために働いてお金を稼いで、それが当たり前になってしまったときに、私たちは幸せについて考えるのをやめるだろう。

 目の前の仕事と給料に必死になっている人間が、どうして自分の未来と幸福について考えることができるだろうか。

 今の日本の就活は、カードを見せられながら「このカードはこういうカードで~」と説明をされて、そこから一枚引くようなものだ。

 私たちはゲームのルールを知らないまま、カードを引かされる。おまけにその説明が、正しいかどうかも分からない。

 引いてみたらジョーカーで、人生が台無しになる人だっている。もちろんその逆に、たまたまラッキーなカードを引く人だっているだろう。

 もちろん彼らは彼らなりの努力をしているのだ。だからまだ就職してもいない私にとやかく言われる筋合いはないだろう。

 それでも、なんだかなぁと思ってしまうのである。

 彼はこんなことも言っていた

 「オレたち絶対いつか死ぬのに、いつか死ぬって思ってないよな。死ぬってことに現実感がないんだよな」

 「普段から『死んだらどうしよう』なんて考えてたら、病気になっちゃわない?」

 「そういうことじゃなくてさぁ、いつかは終わりがくるんだってこと。人は死ぬんだから」

 その通りだ。私たちは絶対に死ぬのだ。今はまだ身近に死を感じたことがなくても、いつか死を感じるときがくる。

 もちろんそれは、自分の死とは限らない。もしかしたらそれは、肉親や友人の死かもしれない。私が生きている限り、他の人は確実に先に死ぬ。

 その死に直面したとき、私は何を感じるのだろうか。

 友人に重い問いを投げかけられて、いろいろと悩みこんでしまった。

 将来が不安になりすぎて、ネットで「適職診断」をしてみた。今のネットの世界には、いろんな診断があるんだなぁ。

 ふむふむと思いながら、質問にマルやらバツやらをつけていく。うーん、これはよくわからないから、サンカクだ!

 私がこういう診断をすると、いつも「創造性のあるあなたは、こういった仕事に向いているでしょう」なんて表示がでる。

 「芸術家」「研究家」「小説家」「画家」。

 これってもしかして、これらの仕事に向いてるってことじゃなくて、社会人に向いてないってことでは…?

 気づいてはならない真実に気づいてしまいそうだ。でも自分が社会人に向いてないの、自分でわかってしまうんだよなぁ。

 庭を掘ったら石油でてこないかな。それか怪しい黒塗りの車から降りてきた執事が、「あなたが昔親切にした、お金持ちの○○さんが、あなたに遺産を残してくれたのです」なんて教えてくれないかしら。

 それで遺産争いの泥沼に巻き込まれて、苦しい日々を送りながらも最後には遺産を勝ち得るのだ。巨万の富を持ちながらも質素倹約に努め、私の死後、そのお金はまた誰かに譲り渡す。

 私のこれは創造性というよりも、妄想癖といったほうが正しいような気がする。

 妄想発電とかあれば、かなり社会に貢献できそうな気がするので、誰か開発してください。