奇想天外な私の街

 最近目が覚めると、いつでも太陽が真上にある。いつの間に地球の自転は早くなってしまったのだろうか。不思議だ。

 ついでに言うと、気がついたら外が明るんでいたりする。神様は日本が夜の間だけ、自転を早めているに違いない。

 もちろんそんなわけはない、私の生活習慣が狂いに狂っているのである。

 みなさまご無沙汰しておりました。ていうかご無沙汰とか挨拶したところで、私のブログが更新されるのを待っている人が居るのだろうか、いや居ない(反語)。

 最後に更新したのがいつだったかすら定かでないので、確認してみたところ、3月24日であった。3月!はるか昔のように思われる。

 まったく更新のなかった四月と五月の間なにをしていたのかというと、何もしていませんでした。ここまで非建設的な毎日を送っていると、いっそ取り繕う気も起きぬ。

 太陽が中天に昇るころに起き、朝食(兼昼食)を食べ、パソコンをだらだらといじったりマンガを読んだりして、夕食を食べる。風呂に入って読みかけのマンガをめくり、深夜アニメを見ながら夜食(カップラーメンとか揚げ物とか)を食べ、太陽が昇るか昇らないかのころに布団にもぐりこむ。

 あえて言おう、カスであると!

 最近で一番遠くまででかけたのは、電車で15分ほどの実家である。生活範囲が家から100メートルほど(冗談ではなく、100メートル圏内にコンビニもスーパーもある)なので、かなりの遠出と言えよう。

 私が遠出をするなんて、雨でも降るに違いないと思ったのだが、雨は降らなかった。しかしたまに出かければ、不思議なことにぶち当たるものである。

 私が電車の中で見かけたその人は、60か70にもなろうかという男性だった。髪の毛は総白髪で心もとなく、少しだけ腰を曲げて歩いている。頑固そうに引き結ばれた口元と、額に刻まれたしわが、しかつめらしい印象を与える老紳士であった。

 にも関わらず、彼はピンク色で丈の短いスカートに網タイツを着用し、足元はハイヒールであった。それだけでもインパクト十分なのに、彼の背中にはかわいらしいウサギのプリントされた、かなり使い込まれた様子のリュックがおぶさっていた。

 あまりのことに、私の脳みそは数秒間フリーズしてしまった。頭の中に浮かんだセリフは、「この男は何者なんだ」だ。

 せめて日の暮れるころなら、「逢魔ヶ時だし、なにかモノノケに化かされたに違いない」とでも思えるが、残念ながら昼日中である。引きこもりの身体に、太陽光が突き刺さる。

 謎の老紳士(紳士は紳士でも以下略)は、私と同じ駅で降り、のしのしと歩いてショッピングモールへと消えていった。買い物するの…?その格好で…?

 強烈な違和感を放つ老紳士を見送った私は、新しくできたバス路線で実家へ向かう。今まで近所まで行ってくれるバスがなかったので、非常に助かる。

 バスは真新しく、前のほうの天井に広告が流れるテレビのついた、なんとも近代的なものであった。こんなバスをまさか地元で見る日が来るとは。少しだけ感慨にふけってしまう。

 ぼんやりとバスに揺られていると、なにか変な音が聞こえてくる。人の声のような…?しかし乗客はほとんどお一人様で、二人連れの客などはいない。学生が外国語でも勉強しているのだろうか。

 そーっと振り返ってみると、イヤホンをつけた学生がぶつぶつと何かを唱えているのが見えた。なるほど、勉強熱心なことである。

 再び前を向き、いったい何の勉強をしているのか気になるので耳を澄ましてみる。

 「□□にして、○○なる△△の、栄華と滅亡が~」

 少し待て いったいなんの 勉強だ。

 びっくりしすぎて、思わず一句詠んでしまった。古きよき時代の血が、私にも流れているに違いない。

 そのまましばらく聞き耳を立てるも、なんの話だかさっぱり分からない。呪文を唱えているとしか思えぬ。

 鬼気迫る勢いで、息継ぎすらなしでひたすらブツブツと呪文を唱え続ける彼。流れていく車窓。

 静かな車内に、彼のまじないが響き続ける。誰か助けて!はやく!

 耐え切れなくなりかけたころに、彼はバスから降りていきましたとさ。もちろんお金を払うときも、降りるときも、呪文は唱えっぱなしである。

 壊れたラジオのような勢いで、何かの呪文をかけつづける彼。いったいなにがそこまで駆り立てるのか。謎は深まるばかりである。

 ほんのちょっとでかけただけでこれだけ不思議な出来事に遭遇するのだから、やはり外出などするものではないな。次はいったいどんな不思議に直面するのかと思うと、ブルっちまうぜ。

 それにしても、私の暮らす街はいつの間にこんな奇想天外な場所になってしまったのだろう。もともと変な人が多いとは思っていたのだが。

 私たちの身近な町にも、まだまだ未知は潜んでいるようだ。