走馬灯を見る暇もなく

 正月ということで、祖母の家へ行ってきた。

 祖母の家は愛媛の田舎にあり、四国に入ってから車で四時間ほど走る必要がある。

 いざ向かわんとなったところで、父にとんでもないことを提案された。

 「今回はあんた高速の途中から運転してね」

 「ほんき?死にたいの?しかもいきなり高速道路?」

 「またあんたは大げさな……」

 今までは運転を全て父に任せて、私はとなりでグースカ寝ていたのだが、殺人ライセンス(運転免許)を私が手に入れたので今回は分担ということになった。気の重い出発である。

 というか以前も話したが、私が免許をとったのは教習所をでて、ほぼ丸一年経った後だ。俗に言うペーパードライバーという奴だ。ペーペーのドライバーだ。

 それだなのにいきなり高速道路だなんて、死ぬかもしれない。

 というようなことを切々と訴えてみたのだが、聞く耳持ってもらえず、練習しなければならないのもそのとおりなので諦めた。

 せめてもの餞別に、コンビニで飲み物とサンドイッチをせびる私。小さい。

 そして車にのること数時間。とっぷりと日は暮れ、走る車が少なくなってきたころ、ついに審判のときは訪れた。

 「疲れたからあんた、そろそろ運転して」

 「はい」

 パーキングエリアにゆっくりと止まった車から降り、少しでもその時がくるのをおくらせようとトイレで時間をつぶす。しかしいつまでもそうしているわけにも行かず、観念して運転席へむかった。

 アクセルやブレーキ、ギアチェンジをするバーの場所をまずは確認する。しかしサイドブレーキがどうしても見つからない。

 「えーっと、サイドブレーキどこ?」

 「足元にあるやろ」

 「ないよ」

 「あるよ」

 しばらく足元をごそごそと探す。何かに足がひっかかった気がするが、なにかのパーツのような気がして踏み込めずに、きっと違うと思って足をバタバタと動かす。

 「なくない?」

 「あるって!左端!踏んでみて!」

 「あ、ありました……」

 はい。妙な突起物がサイドブレーキでした。最近の車はハイカラねぇ。サイドブレーキを無事にはずせたところで出発。

 じりじりとアクセルを踏み込んで、少しずつ速度をあげていく。久しぶりの運転なので慎重に、慎重に。

 「あんたもっとスピードだして!」

 なんだこの男は空気読めないのか無理だって死にます。

 「道出れないよ!」

 そうだったー!ここ高速道路だったー!

 パーキングから高速道路に入るときは走っている車の列にまぎれこむようにしなければならないので、結構な速度を出さなくてはならないのだ。

 「いま!?いま入れる!?」

 「無理!ぶつかるって!ぶつかる!」

 悲鳴の溢れる車内。混乱する頭。この状況で冷静な判断を下せというほうが無理だ。

 もうダメだと思った瞬間に、天からの啓示が。

 いったん止まりなさい。車線の端によっていったん止まるのです。

 その指示にしたがい、本線に出る前の加速車線で停車する私。静まり返る車内。

 背後をよく確認し、車がこなくなってから車線に出たのだった。

 しかし災難は終わらない。私が車に乗るときに、サイドブレーキのことで頭がいっぱいだったのを覚えているだろうか。

 つまり私はあのとき、シートベルトもミラーもその存在を完全に忘れていたのだ。

 「ぎゃあああ!なんか鳴ってる!ピーピー鳴ってるよ!」

 「あんたシートベルトしたの!?」

 「してない!」

 再び大混乱の車内。なんとかシートベルトをせねばとハンドルから手を離すと、とたんに車体は右へ。

 道路によくあるオレンジ色の柔らかいポールを、パコパコパコパコと引き倒しながら車は進む。

 父親に「右によりすぎ!」と叫ばれながら、必死で車体の方向転換に挑む。前さえ見ていればわけないんですよ、と心の中で必死に強がりながらハンドルにしがみついた。

 なんとか車線に戻ったところで、シートベルトをしめてもらう。トホホ、この年になって親にシートベルトをしめてもらうなんて。

 その後はミラーの向きを変えようとして車線からはみ出したほかは、なんとか事故を起こさずにすみました。寿命が半年ほど縮んだ。

 最近はETCで楽に走れるようだが、もしも料金所でいちいち止まらなければいけないシステムなら免許証を求められたこと請け合いだ。録画されていたら運転が下手だからという理由で減点されるかもしれない。

 祖母宅につくと、ぐつぐつ煮られた鍋と温かい部屋が出迎えてくれた。二年ぶりだったのに「あら、帰ったの?おかえり」ですませる祖母のハードボイルドさ。アンジェリーナ・ジョリーにもひけをとらない。

 荷物を運び込んで食卓につくと、祖父もやってきた。第一声は「おぉ、帰ったのか。おかえり」であった。似たもの夫婦である。

 この祖父は、かなりのつわものだ。以前「おばあちゃんがボケ始めたらどうする?」と聞いたことがある。その時の返しが秀逸であった。

 「今までもなんにもかわらんなぁ。ばあちゃんが話して、ワシがそれを聞くだけよ」

 長年連れ添った妻がどうなっても、当然のようにそれを受け入れる懐の深さを思い知らされた。世の中のバカップルには、祖父の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい次第である。

 しかし私には必要なかろう。私が飲んでも恋人がいないため、効果のほどが分からないのでな。

 鍋をさらい、食後のおやつ(饅頭)も食べ、満腹になった私はこたつへもぐりこんだ。幸せとはこたつの温もりのことではないのかと、毎年冬になると思う。

 うつらうつらしているところに、「風呂が沸いたよ」というお言葉がかかったので、もそもそと風呂場へ行く。

 脱衣所で着替えていると、外から「熱いから気をつけてね」と声をかけられたので、どんなもんかと湯船に手を突っ込んでみる。

 そしてその直後、光の速度で手をひっこめる。飛び散ったしぶきが、私の体を焼く。

 熱いよじいちゃん!

 なぜこんなにも風呂をグラグラと煮立ててしまったのか、小一時間ほど問い詰めたい気持ちになるほど熱い。

 お湯を入れる前に「あんたは熱いの好かんのかね」「ちょっとぬるめにしといて欲しいな」というやり取りをしたのは、一体なんだったのか。

 事前確認をしてくれるのはいいけど、それを活かしてくれなきゃ意味ないよ。

 もしかして私の祖父母がハードボイルドなのは、この熱い湯につかって脳みそまで固ゆでされてるからではないのかと疑う。

 熱すぎるお湯に阻まれ、寒い風呂場で水をたしながら湯をかきまぜる私。あちち、しぶきが飛びちる!熱い!

 上島竜兵も裸足で逃げ出すほどの温度まで、なぜ湯を温めてしまうのか。毎年のことでもあるのだが、祖父母の体の熱探知能力は弱っているのか。

 老人は全体的に、熱に対する感覚が少し疎いように思う。

 特に銭湯の湯船はあんまりにも熱すぎる。もうちょっと子供たちにも配慮してぬるめの温度にできないものだろうか。もしくは、熱いのが好きな人、中くらいが好きな人、ぬるいのが好きな人で湯船を分けてほしい。

 そしたら私は若い男の子が入っている湯船に入るんだけどな、ゲシシ。

 そんなことを考えながらちょうどいい温度になった湯につかる。ふぃー、いい湯だぜ。運転の疲れも癒されるってもんだ。

 独り暮らしの身だと湯をはるにもなんだかもったいない気がするので、湯船につかれる機会は貴重だ。たっぷりと堪能することにした。

 家がずいぶんと田舎のほうにあるので、夜になると外からは車の走る音さえ聞こえない。身動きするたびにちゃぷちゃぷとなる湯の音が、やけに大きく響く。

 父は三人兄弟だったので、昔はこの家にもドタバタと響き渡る子供たちの笑い声があったに違いない。しかし私が知っているのは、三人とも家を出たあとの、祖父と祖母が二人でくらすこの家だ。

 私が子供のころはそれでも騒がしかったのかもしれないが、今となっては静かなものである。

 にぎやかだったころを知る祖父母は、普段どんな風にこの家で生活しているのだろう。

 私が知っているのは、盆や正月にご馳走をたくさんつくってくれて、賑々しくしてくれている二人の姿だ。あとの350日は、子供たちの声が亡霊のように谺する家で、二人きりで過ごす。寂しくはないのだろうか。

 祖父母は、むやみと騒いだり悲しんだりすることなく、日々を淡々と生きている。

 私はそんな二人のハレの日にだけ家を訪れて、湿っぽいところなど見せない二人と過ごし、家へと帰る。

 人生は長いが、限りがある。正月になれば子供のころから変わらずに私を迎えてくれた二人の時間は、確実に私よりも短い。

 今まで考えたこともなかったが、人はいずれこの世を去るのだ。

 故郷のお湯はふにゃふにゃな私の心を、少しだけ固く茹でてくれた。

 「いい湯だったよ」

 風呂上りに祖父母にそう伝えると、「そうか」と嬉しそうに笑った。