年が変わっても変わらずに
ふとパソコンの右下の時計を見ると、きちんと「2014/01/01」と表示されていて驚いた。確かに世界は2014年になったらしい。
私ときたら新年だというのに何一つ新年らしいこともせず、家でグータラすごしてしまった。元旦は何かをしてはいけない日だからな(開き直り)。
年末はいろいろとアクティブに動いていた。
まずは、年が変わる前に鍋おさめをしたいと考えていたので、我が家で大学の後輩たちとキムチ鍋を囲んだ。
後輩のうちの一人は実家から通ってきている子で、先輩宅で鍋をするという話をしたところ、母親が差し入れをもたせてくれたらしい。
「あ、これうちの母からです」
「わ、大きな箱!わーい、なんだろう」
「どうぞどうぞ、開けてください」
「こ、これは!ハムの人のハム!」
そう、なんとその中にはハムの人がよく年末にもってくる、マルタイ食品のハムが入っていたのだ。通称ハムの人のハム。かなりいいもの。
あんまりいいものを頂いたので、かえって申し訳なくなってしまった。今年もことあるごとに彼を誘わねばなるまい。しかしお返しのために呼んだところで、呼ぶたびに何かもってきてもらったらお返しが追いつかぬ。
それにしても先輩に鍋に呼ばれた程度のことでここまでよいものを持たされるとは、彼は何気にいいとこのぼっちゃんなのではなかろうか。家も大きいという話を聞いたことがある。
今度はぜひとも彼の家に突撃してみたいものなので、今年の抱負の一つにしておこう。げしし。
後輩たちがくればやはり気になるのは恋の話なので、先輩権力をふるって年納めにいろんなことを吐かせる。ハムくん(ハムをもってきてくれたので)は実は恋人もちであり、クリスマスは二人でどのように過ごしたのかなどを聞いてみた。
彼は非常に初々しく初めは照れて何も話してくれなかったのだが、お酒が入るにつれて口が軽くなり、ポロポロとデートの話をしてくれた。
話によると、クリスマスは人でにぎわうような場所にはいかず、家の近所にある昔の町並みを保存してある地区を回ったそうだ。日が暮れてから食事をし、ライトアップの下でプレゼントを渡したのだろうか。
後輩がすばらしい青春をしているようで、先輩としては微笑ましい限りである。
鍋納めには天使くんもきてくれたので彼にもいろいろと話を聞いたのだが、いまのところ恋はしていないようだ。せっかく面白い話が聞けると思ったのに。ちぇっ。
彼に向かって「かわいいなぁ」なんて言うと、後輩のくせに「ありがと」とにっこり笑ってタメ口をきいてくるので、大変心臓に悪い夜であった。魔性というか、これを天然でやっているとしたら、かなり悪い男である。
彼は天使ではなくて、小悪魔なようだ。
しまいには、「どんなときに幸せだと思う?」のような話をしているときに、「オレは霞先輩といっしょに居るときですかね」なんて発言をしてくる始末。
その程度で流される私と思うてか、ふふん。と心の中では思っているはずなのに、ちょっとしたデレにどうしてもデヘーッとなってしまう。
念仏をとなえようが般若心経を唱えようが、彼の魅力には抗えぬ。滝行している最中でも、彼に応援されればデヘーッとなってしまう自信がある。煩悩むき出しだ。
そんな調子だからこの間も友人のまさるちゃんに「霞はほんとに同じような人が好きねぇ。分かりやすすぎる」と、ビシリと指摘されてしまった。
ごめんよまさるちゃん。私はヘタレだから実害(?)を加えるわけではないので、よしとして欲しい。
私が好きな人は、一言で言えば、体が大きくて心優しい人である。もっと端的に言えば、大型犬のような人である。しまった、端的に言い過ぎたか。
子供のころから、大型犬の「我関せず」とでも言うようなまったりした感じに弱く、犬を見れば走りよっていく子供であった。気がつけばそんな人ばかり好きになっている。
特にふとしたときにデレられるとダメだ。頬の筋肉はだらしなく緩み、メロメロになってしまう。
懐かれて会うたびに「いらっしゃい!いらっしゃい!」と尻尾を振られたりすると、よだれがつくのも構わず抱きしめて頬ずりしてしまう始末である。
一度などあまりデレデレなものだから、「お前は犬が恋愛対象なのか」と聞かれた。残念ながらそこまでの趣味はない。
なにか話しがそれてしまった気がするが、まぁいい。いつかは大きな犬を飼いたいものだ。
大晦日は初めて家族以外と過ごした。大学生活最後の年越しをいっしょにしないかと、友人に誘われたからである。うちの母親は実家に帰り、父親は年越しライブなるものに参戦していたので、母について実家に帰る予定をキャンセルして彼らとすごした。
せっかく集まるのだからとおせちを持ち寄ることになり、私は四苦八苦しながら筑前煮をつくった。
ついでにおせちについていろいろと調べてみたのだが、それぞれ願掛けがしてあって、日本の心を垣間見た気分だ。
根っこのある野菜は、しっかりと根を張るように。しいたけはカメの形に切って、長寿を願う。数の子で子孫繁栄しますようにと願掛けし、魔よけの意味もある黒い豆で、マメに生きられるようにと言葉をかける。
他にもたくさんの願掛けがあり、おせちは縁起物として最上級なのではないかと思った。
改めて、私は日本という国が好きである。おせち料理は手間のかかるものばかりだが、それ故に長生きして欲しい、幸せになってほしいという願いのこもった料理だ。
我ながらじじむさいとは思うが、若者たちには洋食ばかりでなく、こういう心のこもった和食にも目を向けて欲しいものである。おせちはすごい文化だよ。
それぞれで作ったおせちはその日の夕飯にして、酒を飲みつつ紅白を見ながらゆっくりと過ごした。私たちはテレビをあまり見るほうではないので、紅白を見ながらトンチンカンな受け答えばかりしていた。
「これ浜崎あゆみとSexyZone?どこまでがSexyZone?」
「いやSexyZoneはまだだから!これは浜崎あゆみのただのバックダンサーだよ!」
「わー、AKBでてきた。なんか数減ったね」
「これNMBだよ」
「きゃりーぱみゅぱむ……ぱむぱみゅ……だー!」
「いえてないし!」
「これ絶対衣装の下になんか仕込んでるよね?」
「うわあああ黒人仕込んでたああああああああ」
ざっとこんな感じだ。こんなに世情からおいていかれていていいのだろうか。最後のは単純にびっくりした。私はきゃりーぱみゅぱみゅが好きだが、まさか黒人を仕込んでくるとは思いも寄らなかった。ひー、おかしい。
紅白も見終わり年越しが近づいてきたので、鍋いっぱいに年越しそばを茹でる。おせちが案外多かったため、そばの量を少し減らそうという話をしていたのだが、酒がはいって手元不如意になった私はぜんぶぶち込んでしまった。
年越しそばというよりも、灰色の触手が今にもこぼれださんばかりとなった鍋に、スーパーで買ってきた衣だらけの海老天を乗せて、家で飾り切りをしてもってきたかまぼこを乗せる。かまぼこだけちゃんとしているせいで、ますますカオスな様相を呈する鍋。
「え、こ、これどうするの……?」
「うーん、みんなでつつくしかないよね」
紙皿に うつしうつせど 減りもせず 灰色のそば くれゆく年よ
こんなくだらない短歌を思い浮かべていたら、テレビからゴーンと除夜の鐘が聞こえてきた。気分はのどじまん大会で鐘を一個しかもらえなかった、という感じだ。
なんだかんだでそばは美味しく、もそもそとした海老天も衣をはがせば味わい深く、よい年越しであった。
というわけで皆様。あらためまして、あけましておめでとうございます。
元旦の日もすでに終わろうとしているが、なに、構うことはない。めでたいことは何度でも祝おう。
そういえば、帰り際に友人がポロリとこんなことを言っていた。
「なんかあんまり元旦って感じしないね。だってあんまり日常と変わらないもんね」
私たちは今までも日をまたぐまでバカ騒ぎをして、くだらないことで笑いあってきた。私は昨日、大晦日でも元旦でも変わらず過ごせる仲間たちと年を越したのだ。
なんて書くとなんだかすごい感じがするが、実際には大晦日にも関わらず日をまたぐまでバカ騒ぎをして、くだらないことで笑いあっただけである。
やらなければいけないことがたくさんあって、私たちはこれから社会に出て、段々と疎遠になっていくに違いない。少なくとも今のように、突発的に飲み会を開いてみたらみんな来たよ、というようなことはなくなるだろう。
それでも、いつでも変わらず日々を過ごせる仲間がいたことは覚えておきたい。
ふぅ。新年なのに過去のことばかり書いてしまった。ここは一つ未来のこと、今年のことも書かねばなるまい。しかし今年の抱負は何かと聞かれると難しい。
もうちょっとちゃんとした人間になることだろうか。
でもちゃんとしたって何!?その日に使った食器はその日に洗い、いきなり人がきても大丈夫なくらい常に部屋が綺麗とか?
曖昧な抱負だと達成できたかどうかもわからないので、もっと具体的な抱負が欲しいところである。
……神様、今年もいつも通りにすごせますように。かしこ。
人間急に変わろうとしても難しいもんだ、心の平穏を保つのが一番である。
今年もいつもどおり、男同士の関係性にときめき、野良猫を見つけてはおいかけて逃げられ、通りがかりの犬と目が合ってデヘーッとする。そんな私でお送りしよう。
それでは、今年もよろしくお願いいたします。