例えば風呂上りの彼氏の頭髪が心もとないのに気づいた瞬間

 「君、中国に行ってみない?」

 そう聞かれたのは、駅前の居酒屋で忘年会をしていたときだ。学部の忘年会で、教授と話しているときにもちかけられた話である。

 なんでも中国の大学で、日本文化と日本語を教える教師を募集していて、その募集が私の通う大学の文学部にきたそうなのである。

 冗談とも本気ともつかず曖昧に笑っていると、教授はつらつらと条件を並べ始めた。と、飛ばされる!このままでは中国に飛ばされる!

 自慢ではないが、私は海外に行ったことがない。単純にそこまで魅力を感じないし、それなら国内で行きたい場所がたくさんあるからだ。

 それにパスポートの手続きも面倒だし、飛行機に乗るのも怖い。出無精のめんどくさがりなのである。

 一度だけ、高校の修学旅行で飛行機に乗ったことがあるのだが、私はあの時のことを今でも鮮明に覚えている。窓から見える翼は風圧を受けて上下し、機体が高度をかえるたびに私の内臓を浮き上がるような感覚が襲った。

 思わず隣の席にすわっていた友人の腕をつかんで、私は神に祈った。

 「神様!どうか私にもう一度、大地の確かなぬくもりを!」

 願いが無事に聞き入れられたのか、再び大地へ降り立った私は、へっぴり腰で荷物をとりにいったものだ。

 平気な人には分からないかもしれないが、気持ちとしては空飛ぶ鉄の板にのっているだけ、という感じだ。いつ板ごと落下するのか分からないので、足の下に確かな感触があってもちっとも気が休まらない。おちおち昼寝もできやしない。

 こんなあれやこれやの理由があるので、お決まりの「機会があったら」という言葉で難を逃れた。日本語ってすばらしい。

 その教授を危険とした私は、自分の酒をもって酒席へと旅立った。飲み足りてない奴はいねがー!

 流浪を始めた私を傍においてくれたのは、大学院に通う先輩の壁さんである。壁さんとは波長があって、今年の頭ごろから仲良くしてもらっている。

 セミロングの黒髪に黒縁メガネのよく似合う、優しい顔をした女性だ。もちろん文学部哲学科で大学院にまで通っている女性が優しいだけのはずがない。外見に似合わぬ壮絶な恋愛(部外秘)を経て、現在は就職して遠方へ行ってしまった彼氏さんと遠距離恋愛中である。

 「遠距離恋愛とかしてると、冷めそうになる瞬間とかないんですか?」

 遠距離恋愛どころかまともな恋愛すらしたことがないので、気になることを聞いてみる。

 壁さんは「あるよー」とあっけらかんと言い放った。

 「あるのですか」

 「うん」

 「それはどんな時ですか?」

 「彼は一人暮らしを初めてするみたいでねー、自分で買ったものをとっておきたいみたいなんだよね。それでシャンプーとかボディソープの空いた容器をお風呂に並べているのを目撃した時かな」

 「ひー、それはイヤですね」

 思わずゲラゲラと笑ってしまう。

 「それから仕事場でペットボトルのお茶を買うんだけど、彼はそれを飲みきれずに持って返ってくるのだよ。その飲み残しが冷蔵庫にたくさん入ってるのを発見した時は、さすがにぜんぶ捨てたなぁ」

 「く、くだらない!けどわかってしまう!」

 「ぎゃははははは」

 いつの間にか話に参加していた周りの子達も酒を片手に大笑いだ。百年の恋も冷める瞬間は、案外身近にひそんでいるらしい。

 話はそこから進んで、結婚前には同棲すべきか否かという話題となった。

 「たまに会うだけでも冷めそうになるんだから、結婚する前には絶対同棲したほうがいいんだよ!」と息をまく壁さん。

 「だって暮らす中で許せないポイントなんてたくさんあるじゃない?私は本を元あった場所に返さない人は無理だよ」

 「それ分かります。ぼくは食器をあらったあと、ちゃんと泡を流しきらない人とはやっていけません」

 「私が個人的に今まで一番納得しつつ笑った別れたきっかけは、『こぼれたシチューを彼氏が台所のタオルでふいた』だね」

 「ぶふふ、納得です!」

 お分かりいただけるだろうか。このくだらなくも真実味と切なさを兼ね備えた情けなさを。

 きっと別れた理由はそれだけではないのだ。彼氏が鼻水をぬぐうときに、ティッシュを鼻の穴の中までつっこんでいたとか、風呂場の泡をいつもきれいに流さないとか、そういうくだらないことが積もり積もって噴出したに違いない。

 ふと冷める瞬間は臨界点を突破した先にあるのだということを、とてもよくあらわしたエピソードだと思う。

 ちなみに私が今までに冷めた瞬間で一番くだらないのは、「斜め後ろから見たときに案外エラがはっていることに気づいてしまったとき」だ。百年の恋も一瞬で冷めた。

 きっと斜め後ろから見た時にエラがはっていても気にならないくらい好きだったら、それが私にとっての恋であるということだろう。

 こんな死ぬほどくだらないことを考えていたら、いつの間にやらクリスマスとかいうよくわからない人の聖誕祭も終わってしまった。おかしいな、天皇誕生日はちゃんと祝ったのだがな。

 近頃はクリスマスが近づいてきてもほとんど意識することなく終わる。ほんの四年ほど前まではクリスマスに一人であることが悲しかったり切なかったりしたはずなのに。

 これが解脱ということか、恐らく私が悟りを開ける瞬間も近いに違いない。

 さて、聖夜を過ごした世に蔓延るカップル共よ。おぬしたちにもいずれ冷める瞬間がくるのだ。

 恋人がチキンにかじりつく時、口の横に油がついているのを見て少し気にならなかったか?ケーキを食べていたらいつの間にかぐずぐずに崩しているのを見て、なんだかロマンチックじゃないなんて考えなかったか?

 覚えておれ、その一瞬の気持ちが募りに募ったとき、主の中の昂揚は消えるのじゃ。

 

 心せよ!

 いけないいけない。年内最後の更新になりそうなのに、このままでは恨み言で終わってしまう。別段クリスマスが辛いわけではないのだが、ラブバカップルの傍若無人な態度は私の血をあっという間に脳みそへ送るのだ。

 もし恋人ができたとしても、かような振る舞いはすまいと決めているのだが、私に恋人ができるのは一体いつなのだろう。少なくとも、「ふとした冷める瞬間」で大爆笑しているうちはこない気がするなぁ。

 みなさま、よいお年を。