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エア結婚生活にはまだ早い

 マズい。ヒジョーにマズい。卒論もシューカツもちっとも進まない。近頃なんだか停滞気味なのである。捗るのはしょうもない妄想ばかりだ。

 最近はエア恋人ごっこにはまっている。日々の生活を、恋人がいるという設定でおくるのだ。

 前々から私は思っていた。一人暮らしで毎日ご飯を作ったり、掃除をしたり、洗濯をしたりしている今の生活は、恋人が居ないという点に目をつむれば、概ね恋人がいる生活と同じではないのかと。

 だって恋人が居たら一緒に食べるために料理をするし、部屋に招けるように掃除をするし、服にも気を使うから洗濯をするではないか。

 ならば今!恋人が居るということにして生活を送っても、私の日々に変化はないはずだ!

 というわけで、料理をつくるときには「これ、美味しいって言ってくれるかな♪」と思いながら、丹精こめて調理をし、自分で食べる。美味しい。

 掃除をするときには「きれいな部屋で心地よく過ごしてもらっちゃお♪」とよき恋人である自分に惚れ惚れしながら、床にはいつくばってすみずみまで拭く。きれいな部屋は心地いいなぁ。

 そろそろエア恋人とエア初夜を迎えるのもいいかもしれない。

 というような話を友人のりんちゃんにしたところ、「霞ちゃんは相変わらずだね、強く生きて」と応援された。りんちゃんの方は恋人がおり、このまま順当にいけばもしかしたら結婚するかもしれぬとのことだ。

 それに備えてか、学生の間にすませたかったからかはわからぬが、彼女は最近手術をした。なんでも顎のあたりの骨がゆがんでいるらしく、それを矯正するというものだ。

 「私は手術のために、一ヶ月ほど病院にこもるよ」

 「大変だね……」

 「顎の手術だから、しばらくは離乳食みたいなものしか食べられなくなるらしい。不安。お見舞いにきてね?」

 「彼氏おるやん。それに顎が大変なことになっている状態は見られたくないのでは?」

 「それもそうね、やっぱいいわ」

 こんなやり取りを八月末にしたのも忘れて、それから三ヶ月後。つい先日会ったのだが、彼女はものすごいリニューアルを果たしていた。

 フラリと部室に遊びに行ってみると知らない先輩が楽器を触っていて、「あ、知らない人だけど、たぶんOBの人かな?」と思いつつ、私は挨拶をしたのだ。

 「こんにちは」

 「あ、霞ちゃんだー!めっちゃひさびさー!」

 瞬間、ものすごい勢いで回転を始める私の頭の中。ミキサーだってこんなには回転しないぜという勢いで、走馬灯のごとく過去の思い出がよみがえる。

 「誰だこの人は」「先輩の顔を忘れるなんて失礼だぞ」「いやいや、まずはこの状況に即した返答をすべきだ」「そんなこと言ったって、相手が誰かもわからないのにベストな反応なんて返せるか!」「なんだと貴様やるのか!?」

 脳内議会での議論が紛糾を極めかけたとき、青天の霹靂のごとく、私の中に一つの考えが生まれた。

 「もしかしてりんちゃん……?」

 「うん、そうだよー」

 「えっ、はっ?うそ?」

 「ほんとほんと」

 「えー、知らない人だよ、君は」

 「いやいや、知ってる人だから」

 なんというか、驚愕であった。

 もともと対人記憶能力の低い私ではあるが、三年近く付き合っていた友人の顔を忘れていたというわけではない。それほどまでに変わっていたのだ。

 りんちゃん本人は「みんなそんな反応して面白いけど、そこまであからさまなのは霞ちゃんくらいだよー」なんてあっけらかんと笑っていたが、知り合いにあったときに気づいてもらえないというのは、結構なことではなかろうか。

 しかし変わった自分を認識するには、うってつけなのかもしれぬ。人間って顔の輪郭がかわるだけで、こんなにも変わるものなのかと驚いた。

 私はりんちゃん変貌事件で、変わらないことなど何もないと気づかされた。

 今のところはなんとなく今までのような生活ができたらいいなぁと思っていて、今まで通りに生活している。つまり、特に何か新しいことにチャレンジしたりはしていない。

 でもこうして私が安穏と暮らしている間に、他の人たちはどんどん変化しているのだ。

 それが良いか悪いかに関わらず、気がつけば人は変化している。私もこれまでにずいぶんと変化を重ねてきた。しかしここに来て、自分の変化は止まっているように思う。

 言ってしまえばやる気がないのだ。変わるためにはそれ相応のエネルギーが必要なのである。岩を転がすには最初が大変で、一度転がりだしてしまえば止まらないというアレだ。

 やはりここは一つ、転がりだしてみなければならぬ。このままではずーっと停滞期のまま止まってしまいそうだ。化石と呼ばれたくはない。

 しかし人を動かすものってなんだろうか。やっぱり恋と……か……。

 いや、やめよう。こんな話は。変化がなんじゃい!今が幸せならそれでいいんじゃ!

 そうだ、私にはすばらしいエア恋人という存在がいたじゃないか。

 そろそろエア初夜を迎えるとかまどろっこしいことを言わず盛大に、エアプロポーズからのエア結婚式でも開くことにしよう。

 そしてりんちゃんあたりに「相変わらずだね」と言われるに違いない。

 変わらない安心感をウリにして、私は強く生きるよ、りんちゃん。