悩ましき刺激

 鼻をかんだ後のちり紙というのは、なんとも悩ましいものだ。自分の部屋のように、人目につかない場所ならば、はばかることなく「ぢーん」と鼻をかんでゴミ箱に捨てることができる。

 しかし授業中の教室や公共の場では、扱いに困ること山の如しだ。

 まず音をたてて鼻をかむのが恥ずかしい。いくら鼻水を処理するためとはいえ、もう少しスマートに処理する方法はないものか。

 なんとか音を立てずに処理をするために、鼻の下にティッシュを押し当てて鼻水を吸わせてみたりもするのだが、ちっともすっきりしない。むしろ中途半端に乾燥した部分に鼻水がたれてきて、かえって気持ち悪い。

 そして無事に鼻水を処理できたとして、今度はちり紙のやり場に困る。

人目につくところに置いておくのは、はばかられる。かといって、そっとポケットや筆箱の中に忍ばせるのもいかがなものか。

 自分の排出した液が、シャーペンや消しゴムにつくのは遠慮願いたいのである。

 私は結局、できるだけ人目につきませんようにと願いながら、そっと机の端においておく。いっそ男らしくポケットにでもつっこめばいいものを、往生際が悪い。

 往生際が悪くてなにが悪い!私は鼻水で服が汚れるのが嫌だ!

 と、鼻水がダラダラと垂れてくるたびにここまで悩んで、「なぜ人間様が、ちり紙一枚でこんなに苦心しなければならないのだ」と虚しくなる。

 いっそ鼻水なんて出ないようになってしまえばいいと神様に願うも、やる瀬無いこと浜辺に打ち上げられたクラゲの如しだ。

 他にも悩ましいものとして、ウォシュレットの存在がある。私はあれがどうにも苦手だ。

 お尻にビャッと水(時には温水)をかけられると、反射的に体が飛びのこうとしてしまうのである。

 という話を友人にしたところ、「へぇ、霞って敏感なんだな」というお言葉をいただいた。ニヤニヤと笑いながら少しからかうように言われたセリフに、ゾクゾクとしてしまった次第である。

 性癖を暴露したかったのではない。

 ウォシュレットを使っていると、局所的な部位にだけ水をかけられている自分がアホらしく思えてしまうのだ。

 「便座に座り込んで局所を濡らされている自分」というのは、客観的に見るとどうにも間抜けさを拭えない。

 時には、前につかった人がウォシュレットの勢いを最大にしていて、局部に走る衝撃に悲鳴をあげそうになることもある。

 そんなものすごい勢いでないと落とせないような汚れなら、自宅の風呂できっちりキレイにしてこいってんだコンチクショー!

 痔疾のある方にとっては、ウォシュレットのついたトイレは福音なのかもしれないが、私にとっては無用の長物である。私の局部は今のところ健康体なのでな。

 精神がかなり不健康なのは、この際多目にみていただきたい。

 そういえば最近、実家のトイレはずいぶんと現代的になった。ドアをあけると「ウィィィィー……」という音とともに、便座がかってに開くのだ。

 最初はなんの音かわからず、なにか起動させてはいけない機械を起動させてしまったのかと勘違いして、慌ててトイレの外に出た。バカだ、ほんとうにバカだ。

 便座は自動でぬくもるようになり、人肌の温度で臀部を出迎えてくれるようになった。夏場にぬるま湯程度の温度で私のお尻を迎えるのは、ほんとうに気持ち悪いからやめてほしいものである。

 彼なりの気遣いなのかもしれないが、私は人肌程度にぬくもった便座も好きではない。直前まで人の座っていたイスの温もりを思い起こさせるからな。

 もちろんウォシュレットも完備だ。今までは側面についていたボタンも、いつの間にかトイレの壁面に移動していた。高級なフレンチのレストランのようである。

 高級なフレンチのレストランに、実際にそんなウォシュレットがついているかどうかは分からないが。

 近頃はどこにいってもトイレがウォシュレットでびっくりする。

 世界は痔疾の人に対して、どんどんと優しくなっているらしい。

 確かに長期的な視点で見れば、トイレットペーパーなどで拭くよりもウォシュレットの方が体にいいには違いない。

 しかしここで私はあえて苦言を呈したい。

 みなさん!そこまで甘やかしていいんですか!?

 そんな風に甘やかされて、もしも断水などが起きてしまった時に、そこはトイレットペーパーで拭かれる刺激に耐えられるのだろうか。

 いや、もしかしたら断水と同時に石油危機も起きて、トイレットペーパーも手に入らず、新聞紙で拭かなければならないハメに陥るかもしれない。

 来るべきその日のために、ウォシュレットの使用をやめ、そこを鍛えてみてはいかがだろうか!

 事態は、ウォシュレット撲滅運動の様相を呈してきた。

 人よ、ウォシュレットのような外国の便利品に頼るなかれ。自らの尻拭い(この場合は文字通りの意味である)くらいは、自ら行うべし。

 ウォシュレットが苦手という話題から、発展しすぎてしまったようだ。文章を書いているとヒートアップしてしまって、自分でも予期せぬ方向へ走り出してしまう。

 ウォシュレット自体は大変素晴らしい発明だと思うので、特に否定するつもりはござらぬ。大事な局所を傷つけないという意味では、役立つものだからな。

 私がウォシュレットに夢をみるとするならば、やはりそれが局所を刺激するものであるという点だろう。

 この世界のどこかに、ウォシュレットが局所的に浴びせかけてくる水(もしくは温水)に過敏に反応し、微妙に眉をひそめている男子学生が居ることを切に願う。

 我ながらくだらなすぎるまとめだ。せっかくトイレの話題をしたので、このくだらなさも水に流してほしい。