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隙だらけだぜ

 夜まで遊んだ帰りなどに、スーツ姿のまま女性と手を繋いで歩いている男性を見かける。たいていが若い男で、デレデレと楽しそうだったり、落ち着いて自分のペースを守っていたり、フラフラと千鳥足だったりと様々だ。

 私はこういう人たちが大好物なのだ。なぜならそこには、「普段は人に見せたり、感じさせたりしない空気」がまぎれもなく漂っているからである。有り体にいえば、人間的な隙とでも表現できるだろうか。

 スーツを着ている時の男性というと、仕事中の姿を思い浮かべる。もちろん仕事中なので、不必要な私語を垂れ流していたりはしないだろう。

 上司が見ているのでダラダラと歩かないように気を付け、折り目正しい言葉遣いをする。時には冗談を言い合ったりもするが、それも仕事の上でのこと。大笑いをして周りの顰蹙を買うようなことはしない。

 そしてそういう窮屈な仕事が終わった後に、待ち合わせをしていた女と会うのだ。

 もちろん女の前では、今書いたような堅苦しいものは全部脱ぎ捨てて、素の自分になる。

 手をつないでその温かさにドキドキしたり、仕事でしんどかったことをグチグチと漏らしたり、逆に黙って相手の話を聞いたり。

 そこに居るのは、スーツを着ていても関係ない「素の男」である。油断ありまくり、下心も漏れまくり、デレデレとやにさがってしまうただの男だ。

 こういう、恰好としては外向きなのに、中身は素というギャップについついときめく。なにかの病気かもしれない。

 世の中には「ギャップ萌え」という言葉があるが、きっとアレに近い。ツンデレだって大好きです。

 さらにスーツ姿で女と会っている男に漂う、「不義の恋」感も重要なエッセンスだ。

もしかしたらその男には、妻や子どもがいるかもしれない。しかし妻は子育てで忙しく、家に帰ってもあまりかまってくれなくなった。今まで頻繁にしていた夜のあれやそれやもお預けだ。

 そんな毎日が積み重なって、少しずつ欲求不満がたまりはじめたころに、ふと職場の女の子に声をかけられる。

 「あの、よかったら今度、いっしょに食事にでもいきませんか?」

 もちろん女の方とて悪く思っていればそんな風に誘いはせぬ。食事の後は軽い運動と、夜の街へしけこんでしまうに違いない。げっへっへ、見事な不倫物語の完成だぜ…。

 ハッ。いかんいかん、つい道端の男性を不倫の泥沼に落としてしまった。

 もしかしたら、私の幸せそうな男女に対する嫉妬が、こんな妄想を引き起こしているのかもしれぬ。ていうか私好みの、二人で歩く男女のバックストーリーはこうである。

 今日は久しぶりに女性とのデートである。目の前の仕事に集中しようと思っても、なかなかうまく気持ちが入らぬ。学生ではないのだからと思いつつも、ついつい仕事の後のことを考えてしまう。

 レストランはもう予約してあるし、その後の流れもバッチリだ。我ながら完璧なデートプランを立てたものだと、ついニヤニヤとしてしまう。同期にも、何かいいことでもあったのかと聞かれてしまう始末だ。

 無事に仕事を終わらせ、約束していた同僚の貞子(仮名。この間の夜、貞子3Dを映画でやっていたから)との待ち合わせ場所に向かう。時間通りについたが、貞子は先について待っていてくれた。

 「ごめん、待たせた」

 「ううん、ついさっききたところだから。久雄くんもお仕事おつかれさま」

 こんなお決まりのやり取りも、女とするとなるとどことなく照れくさい。少しはにかみながら、貞子をレストランへ案内する。

 レストランは値段の割に質が高く、ゆっくりと食べられる場所を選んだ。仕事のあとなので、お互いゆっくりと話しながら食事をするのがいいだろうと考えたからだ。店の雰囲気がよく、ウェイターも折り目正しくもてなしてくれて、大満足のディナーだった。

 「このあとどうする?」と、少しだけ下心を出して聞いてみる。

 「うーん、私は明日も仕事に行かなきゃいけないし、思ったよりも時間が遅くなっちゃったからなぁ。今日はこれで解散にしようか」

 「そうだな、じゃあ今日はこれで」

 「うん、今日はありがと!」

 今日は解散のようだ。残念だが仕方がない。

 その後すぐに立ち去るのかと思ったら、貞子は立ち止まったまま動こうとしない。怪訝に思って声をかけようとしたら、同時に口を開いてしまって、気まずい沈黙が流れる。

 貞子は意を決したように、パッと顔を上げるとこう言った。

 「その…も、もし久雄くんがよければだけど、また一緒にご飯食べようね。それじゃ!」

 それだけ言い切ると、身をひるがえして駆けていってしまった。返事をしそこなったまま、ポカンと口をあけてそれを見送っている自分がおかしくて、緩んだ口元を抑える。

 女と夜遅くに会っているというのに、こんな風に照れたりはにかんだりするとは、まるで高校生の恋愛だ。そうやって自嘲的になろうとするのに、少しだけ弾んでしまう胸に嘘はつけなかった。

 帰りの電車の中で、赤い顔でまた一緒にご飯を食べようと誘ってくれた貞子の姿を、窓に浮かべる。いつもよりも電車に乗っている時間を短く感じた。

 「ただいまー…」

 もう寝ているかもと、静かに鍵をあけて小声で帰宅を告げてみる。

 するとリビングのドアががちゃりと開いた。

 「あ、おかえりー。早かったね?お酒飲んできてないんだ」

 寝間着姿で孝弘が出迎えてくれる。

 「んー?まぁな。早めに帰りたかったし」

 「お、嬉しいこと言ってくれるじゃーん。お風呂はいる?わいてるよ」

 何気なく嘘をついてしまった自分に、さっきまで浮き立っていた気分が萎む。自分のことを信じて疑わない笑顔に顔向けできなくて、風呂場に逃げ込んだ。

 お湯にぼんやりとつかりながら「俺なにやってんだろうなぁ…」と自問自答する。恋人が男で、同棲までしてるくせに女と浮気して、バレたら孝弘がどれだけ傷つくか想像したら自分の胸にまで冷たい痛みが走る。

 そんな俺をバカにするように、額に天井から冷たい雫が降ってきた。

 風呂をあがって、いつものように二人でダラダラとテレビを見て、ベッドに潜り込む。いつもなら少しじゃれあって、気分がノってきたらそのまま体を求めあうところなのだが、とてもそんな気分にはなれなかった。

 それでいつものようにじゃれついてきた孝弘に、「ごめん、今日は仕事後にでかけて疲れちゃった。このまま寝ようぜ、おやすみ」と頭を撫でながら伝えた。

 俺のことを信じ切っている孝弘は、「ん、そっか。お疲れ様、おやすみ」と言った後、軽くキスをしてくれた。少し放っておくと、そのまますぐに寝息を立て始める。

 暗闇に慣れてきた視界にぼんやりとうつる、孝弘の寝顔。恋人の体温を感じながらこの寝顔を眺めるのが最高の幸せだったはずなのに、今夜はなぜだか直視できなくて、俺は背中を向けて寝た。

 きゃー!

 不義の恋をする前から、道ならぬ恋に落ちているにっちもさっちもいかない男。どう転んでも、何かに対する呵責を感じながら生きざるを得ない。

 男と付き合ってる癖に女と浮気したりして、孝弘くんにバレてしまったら一体どうするつもりなんでしょうねフンハー(鼻息)。

 道端のスーツの男たちが私の妄想を掻き立ててくれる限り、いつまでも元気に生きていけそうな気がします。

 でも社内でスーツ姿の男を見るのは違うんだよなぁ…。うっかり見てしまったという、垣間見感が欲しいのだ。主婦が「家政婦は見た」に夢中になっちゃうのって、こういう心境なのかしら。

 そうそう、あまり関係ないかもしれないが、この間飲み会の後の帰り道で面白い男女をみかけた。

 なんと男の方がパンツ一枚(それも白ブリーフ!)で、腕を組んで仁王立ちする女に土下座しているのだ。

 重ねて言うが、これは私が「帰り道で」みかけた男女である。深夜二時ごろの、大通りの歩道である。

 彼らがなんだったのか分からないが、申し訳ないのは酔っ払った私たちがやいのやいのと騒ぎながら横を通ってしまったことである。もしもなんらかのプレイ中だったなら、きっと集中力を掻き乱されること著しかっただろう。

 それとも卓越した人たちなら、酔っ払った集団が騒ぎながら通ることくらい、屁のカッパなのだろうか。むしろ、そういう「関係ない他者」が通った方が興奮するとか?

 うーむむ、謎は深まるばかりである。いつか機会があれば、そういうプレイの悦びや感じ処について、聞かせていただきたいものだ。

 あれ、私は日常にふと垣間見える、人間の隙について話していたのではなかったっけ?なんでいつの間にかSMプレイの話になっているのだ…。

 ていうかそういうことをしている彼らも、社会に出て立派に働いている人間である。そう思うとなんだかすごいぞ。

 こんなことばかり考えていて、私は社会に出てやっていけるのだろうか…とても心配だ。というより、社会に出れるかどうかがもはや心配だ。

 誰か、私に仕事をください(切実)。