素直と反発のミルフィーユ
梅雨に入ったというのに空は晴れ渡り、涼やかな風がふきわたっています。ふっと目をさました私はカーテンから外をのぞきました。早朝のあわい光の中に沈む街が、一日のはじまりにむけて、活気をたくわえているのを感じます。車のはしる音や、早起きな学生たちがしゃべる声は、部屋にしみ込んでくるようです。
「なんだ、まだこんなに朝早いじゃないか」
私はそう呟き、あたたかな布団に抱かれて、心地よい夢の世界へ再びもどることにしました。
おかげさまで平日だというのに昼過ぎまで寝こけた。私はほうっておくと一日中ふとんの上にいるので、そろそろ早寝早起きの習慣をつけるべきかもしれない。起きるのが遅くなると、一日の短さに愕然とするのだ。
例えるなら、さっきテストが始まったばかりだと思ったら、問題を三分の二ほど解いたころに、「ペンを置いてください」といわれたような感覚である。
「えっ!?今日という一日は、さっき始まったばっかりじゃん!もうちょっと!もうちょっとだけ!」と叫びたくなるが、太陽はそんな私にかまわず山の向こうへ帰っていく。
今こうして文を書いているのも、とっぷりと日が暮れた時間なのだ。とほほ、今日は午前中に用事をすませて、明るいうちに書こうとおもっていたのに…。
そんな私が明るい時間のあいだに何をしていたのかというと、部屋の掃除をしていた。梅雨入り宣言をした、お天気情報のおねえさんをあざ笑うかのようにカラリと晴れ渡った空をみて、清掃意欲がわいてしまったのだ。
まずは布団のシーツをはぎ取り、それを洗濯機に投げ入れて、物干しざおに布団をかける。シーツが洗濯機の中でグルグルと回っている間に、床に散らばった本やプリントをかたづけて、掃き掃除だ。
余談だが、私の部屋には本がおおい。それなりに大きな本棚を買ったつもりだったが、すでにはみ出している。ちょっと困っているのだが、なかなか売りにももっていけない。
かといって床につむのはなんだか本に失礼な気がしてできぬ。それで結局机の上に並べてあるのだが、断捨離をすべきだと思う。
本が勝手に増殖をしているのではないかと疑いたくなるが、間違いなく私がお金を出して買ったものなのだ。これからは買い物に気をつけたい。
そしてさらに余談だが、私は掃除機をあまり使わない。この文明の利器をもっていないわけではないのだが、ホウキで部屋をはくのが好きだ。だって掃除してるって感じがするじゃん?
同意してくれる方はいないだろうか。友人に言うと「えっ、霞くんって時代遅れだねぇ」などと言われる。シツレイな!
ひとしきり掃除をした後で、「せっかくだから借りていたものも返してすっきりしよう」と考え、友人に借りていたマンガとたこ焼き機を返しにでかける。
ちなみにマンガは、「きのう何食べた?」というホモのカップルの日常マンガと、いま流行の「進撃の巨人」だ。
毛色の違う作品だが、それぞれとても面白かった。
「きのう何食べた?」は、いま現在もよしながふみさんがモーニングで連載をしている。弁護士をしている筧史朗と、美容師の矢吹賢二の同棲生活を描いた作品だ。
同性で同棲生活…フフッ。
弁護士というフォーマルな世界で生きている史郎は、自分が同性愛者だということにコンプレックスを抱えている。そのため、必要以上にそれがバレてしまうことを恐れ、そんな自分を嫌だと思いつつもなかなか変えられないでいるのだ。自分がホモなのは認めていても、社会とどう折り合いをつけていいのか戸惑っている人はたくさんいるだろう。そういう人は、彼に感情移入してしまうのではないだろうか。
いっぽう、賢二のほうは気楽にかまえて、お客さんに「彼氏がね~♪」なんて話してしまう始末である。自分のセクシャリティを受け容れて毎日を笑顔で過ごしているところが、「大人なんだなあ」と思い知らされる。
ありのままを受け入れて、自然体で生きる姿にあこがれを覚えてしまう。
史郎の職業は弁護士であり、家計や健康などにも気を使っていて、「しっかりした人」という印象を与える。しかし、だからこそ細かいところにこだわってしまう女々しさと、そういう自分に対する自己嫌悪が作中で表現されていて、とても魅力的だ。
対照的な史郎と賢二の生活は、ちぐはぐなようでいてとても気持ちいい空気が流れている。
私はといえば、作中の誰に感情移入することもなく、「こ、こんなお二人様が住んでいる家の隣に住みたい!」なんて考えながら読んでいる。
ゴミ出しする時に史郎さんと会って、「あ、お、おはようございます」と同性で同棲(…フフッ)しているのを変に思われていないか微妙に戸惑われたい。あわよくばおすそ分けとかして、「あ、ありがとうございます」と受け取るも、家の中を見せてくれない微妙な距離感を味わいたい。
いかん、話がそれてしまった。
「きのう何食べた?」は、まぁちゃんという女の子に借りたものだったので、自転車をえっちらおっちらこいで、その子の家までもっていく。梅雨とは思えぬ晴天じゃ、気持ちがよい。私の地元は雨が少ないので、とても過ごしやすい気候だと思う。
まぁちゃんの家に着いたら、彼女はなぜかエプロンで出迎えてくれた。
ひとまずエプロンのことには触れず、玄関先で少ししゃべる。さっさとマンガを返して去るつもりだったのだが、盛り上がってしまったのでごそごそとあがり込んだ。
「まぁお茶でも飲みなさいよ」と勧められたので、ありがたく受け取る。ゴクゴク、プハー。生きかえるぜ!
ついでに、料理教室に通っているらしい彼女から、ハートの形をしたパンを受け取った。どうやら女子力をメキメキと上げているようである。
いろいろとお喋りをしている間に、話題は家族のことへうつった。
「あ、家族と言えば。実はうちさー、父親が単身赴任で四、五年ほどこっちにおらんくなるんよねー」
「え、そうなの?」
意外そうなまぁちゃん。それもそうだ、ほんの数日前に決まったことなのだ。
「そー。じゃけん、母親が一人になる可能性あるんよね。うちは持家だし、母親も自営業してるから地元離れれんってのもあるしなー」
「あー、それむずかしいよねー。うちは両親いっしょに暮らしよるけど、母親はたまにしんどそうだったりするし。父親はとにかく、母親っていうのはねー…」
「そう。別に週一で電話とかは構わんのじゃけど、親と長電話とかしてると複雑な気持ちになってこん?」
「わかるわかる!なんか素直になれんというか、胸のところがうじゃうじゃしてくる!」
私もまぁちゃんも、かなりサバサバした人間だと思う。人との繋がりを大切にしないわけではないが、べったりとした付き合いをあまりしないのだ。
そういう人間にとって、「電話を始めたら気が付いたら一時間くらい喋られていて、かといって『ごめん、時間アレだから切るね』なんてことも罪悪感で言えない(しょんぼりした声出されたりしたらかなりへこむ)」という相手は、精神的に疲弊する。
まぁちゃん曰く、「理想的には毎日電話するけど一分以内で生存確認と、ちょっとした現状報告で済ましたい」そうだ。うーん、よく分かる。
私は現在学生だが、就職してしまえばどこに行くかわからないわけだし、地元を離れる可能性も大いにある。
そういう中で「母親の存在」というのは大きい。
今まで育ててくれたことに感謝をしているし、決して蔑ろにしたいわけではないのだ。わけではないのだが、しかし。しかしである。
どーにもこーにも、見詰め合うと素直にお喋りできない。ある意味、遠距離恋愛よりもメンドウクサイ相手である。
私の部活動の友人であるせん子は、そんな母との間柄をこう表現していた。
「母親との距離感っていうのは、素直と反発でできたミルフィーユみたいなもんやね。感謝する気持ち、大切にしたい気持ち。構ってほしくない、放っておいてほしいという気持ち。この二つがたくさん折り重なってできとる。しかも一緒におる時に限って、反発の部分がいちばん上にきてしまうんや」
彼女の言語的センスは、すばらしいものがあると思う。
私たち、いわゆる「今どきの若者」は、なかなか母親という存在に対して素直になれない部分があるのではないだろうか。
ああ、こんなこと言いたいわけじゃないのに、また言っちゃったわ、なんてありがちな話である。
痴呆、アルツハイマー、介護。
決して遠い未来の問題ではないのだ。おお、なんてこったい。
ちなみに、まぁちゃんがエプロンを着ていたのは、実家にあった小学生時代の服を着ていたから、それを隠すためだそうだ。女子力って一体…。
さらにその後、出かける直前になって、「あっ、ワキ汗を抑えるためにワキにぬりぬりするやつを塗ってない!ワキ汗を抑えるためにワキにぬりぬりするやつはどこや!」と騒ぎ出す。スカウターも壊れんばかりのおっさん力を発揮してくれるまぁちゃんに、大爆笑する私。
とうとう「ワキ汗を抑えるためにワキにぬりぬりするやつ」を見つけたまぁちゃんは、さすがに男の前でそんなものを塗るわけにもいかずそっと部屋を出て行った。
出て行った先で、「ワキ汗を抑えるためにワキにぬりぬりするやつをぬりぬりするんだけど、さすがにワキにぬりぬりしとるところを見られたくないから、ぬりぬりしてるところは見ないでね!」と早口言葉のようなセリフを叫んでいた。
そんな宣言せんでも、女子がワキになにがしかをぬりぬりしてるところなど見たくないわい!
え?男子がワキにぬりぬりしてるシーンはどうなのかって?
もちろん見たいです。
そんな感じでまぁちゃんと愉快なひと時を過ごし、たこ焼き機と「進撃の巨人」をとりに帰って、そっちも友人に返した。これでうちに借りっぱなしになっているものは、全て返したはずである。
すっきりとした気分で干してあった布団を取り込み、シーツを干した。
それにしても、洗濯物の匂いというのは、どうしてこんなにいい匂いなのだろう。清潔感を体現したような匂いだ。
とりこんだ洗濯物と、可愛い笑顔の男の子の胸元は、私が顔を埋めて匂いを嗅ぎたいもののトップ10に入っている。ぜひとも今度、私が匂いを嗅ぎたいものトップ10を書きたい。
むしろ、「私が匂いを嗅ぎたいものトップ10を当てるまで帰れまテン」という企画を催すのはどうだろう。芸人や俳優が、様々なものの匂いを嗅ぎまくるのだ。ぐふふ。
しかしこんな企画を上司に提出しようものなら、能面のような表情で「君はもう明日からこなくていいから」と引導を渡されてしまいそうである。実現は程遠いのか…嗅ぎたいものをいつでも嗅げるわけでもないしな。
はにかむ笑顔がかわいらしい男の子に、「ぼ、ぼくの胸なら、すきに使っていいですよ…」なんて恥ずかしげに言われたい。
あわよくば、「すっごくいい匂いだね!」と満面の笑顔で伝えて、恥ずかしそうに、かつちょっぴり嬉しそうに微笑まれたいものだ。