「ひとり」に焦がれて

 掃除はとても大事だ。どれくらい大事かというと、掃除をしないとなんだかよくわからない菌が湧いて病気になったり、精神的に不安定になったり、なにも手につかなくなったりする。

 身の回りが散らかっていると心の置き場もなくなって、安定しないんだと思う。

 

 でも物質的なものがどれだけ片付いてても心の中身が片付いてなかったら結局いっしょだ。というわけで私は今、心がものすごく片付いていない。いや、部屋も片付いてないけど。でも部屋以上に心の中のほうが散らかっていて、なにから手を付けていいやらわからない有様だ。

 

 たいていの人は子どものころに生活に必要な基礎的なことを学ぶけど、自分の心の取り扱い方などの肝心なことは誰も言語化して教えてくれないから、生きていく中でなんとなく覚えていくしかない。それって案外しんどいことだ。

 だから本屋にいけば「心をスッキリさせるための10の方法」だの、「今日から自由になるために」だの、精神的アドバイスをくれる本がたくさん並んでるのだ。私も時々お世話になる。今後ともよろしくお願いしたい。

 ちなみに最近気になったのは筋肉さえ鍛えればたいていのことはなんとかなるという旨の本だ。肉体を鍛えればホルモンが~といった話かと思ったら、「他人はあなたを裏切っても筋肉はあなたを裏切りません」「筋肉があればいざとなればムカツク上司も倒せます」という斜め上の展開で笑った。

 

 心が乱れているときに起こることは様々だ。スッキリさせるために突拍子もない行動に出たり、うつうつとして逆にまったく行動できなかったり。散財とかよくあるよね!

 思いっきり散財したいのに残念ながら散らせるほどの財がないのが悲しい……。

 

 やはりストレス解消にはボーイズラブ的な本が一番だと思ったのだが、心が乱れすぎてアンテナの感度が下がってしまったのかときめかない。この私ともあろうものがなんたることだ!

 技術と同じで、想像力や感動を感じる力も使ってないとバンバン衰えていくのである。私はここのところ感情海抜0メートルの日々を送っているので、ハートがさび付いて前ほどの興奮をおぼえなくなった。本当にさみしい、取り戻したいあの感動を……道行く少年と肩がぶつかっただけで触れた部分に熱を感じたり、ふと目があっただけで「彼も私のことを」なんてハチャメチャに意識してしまって一日中その男の子のことが頭を離れなくなったりしたい。

 は? いやいや、病気じゃないから。かわいい男の子を前にすれば当然の反応っていうか、むしろかわいい男の子を前にして興奮しないってヤバくないですか?

 

 もう何が悪いって、間違いなく実家に戻ってきてしまったのが悪い。私は完全にひとりになれる場所や空間がないとダメな性質なのだ。

 もちろんひとりというのは、物理的ではなく精神的な意味だ。部屋に一人でいても、隣の部屋から親の気配がしたりすれば、それはもう「ひとり」ではない。

 

 私にとっての「ひとり」は、自分がなにをしても誰も関心をよせないであろう状態のことだ。もしくは関心をよせても、一瞬でそれが薄れて離れていく状態だ。

 適度な無関心、ちょうどいい距離感。そういうものがないとしんどい人は世の中に一定数いる。なぜかそういう人は「変わってる」などと言われがちだが、私からすれば人の性質をいちいち変わってるだのなんだのと言わずにはいられない精神性のほうがよっぽど変だ。みんな違ってみんないいって金子みすゞさんも言ってるんだぞ。

 

 我々は人付き合いを拒絶しているのではない、むしろ良好な関係を築きたいと願っている。しかしそれと同じくらい強く、ひとりの時間は誰にも邪魔されずにゆっくり過ごしたいと思っている。休みの日に一日かけて誰かと遊んだら、次の休みは自分のために朝寝坊したりダラダラしたり、ご飯を作るのをサボってコンビニ弁当を食べて不摂生したい。夜寝る前には心を煩わすことなく静かに過ごしたい。

 手帳にぎっしり予定が書いてあるとしんどいのである。

 

 なんだか話が広がりすぎてしまった気がするが、まぁそんなわけで私は「ひとり」を愛する。次の日起きてリビングにいったら「アンタ昨日は夜更かしだったね」なんて言われたら、その瞬間げんなりだ。自分が生きている気配を気取られるのがもうめんどうくさい。すこし極端だが、偽らざる本音だ。

 

 そしてこれは私自身の不徳の致すところだが、実家にいると生活がどんどん甘くなる。生活のハンドルが自分一人の手から離れると制御できないのだ。自分のものは自分で選んで買いたいし、家になにがあるのか常に把握しておきたい。わからないとやる気をなくしてしまう。完璧主義気味なところがあると思う。欲しいものには財布のひもがゆるゆるなので、生活が緩むとなおさらコントロール不可能だ。

 しかし親と暮らしているのにそれを行うわけにもいかない。特に我が母親はそういう他人行儀なことをしようとすると「家族なんだから」と怒り出す。私は家族といっても他人だと思っているのだが、母にとってはどうやらそうではないらしい。別に他人といっても冷たい意味ではなくて、「それぞれ別の人間」ということなんだけどな! 分かり合えないね人って!

 

 しかしこういうことを書くと、「でもそういう気持ちがもう親に甘えているのでは」という疑心暗鬼が生じる。これまでさんざん面倒をみてもらって育ててきてもらっておいて、一人で大きくなったような顔がしたいって甘えじゃないの、的な。

 あまつさえ実家に戻って食べ物を買ってきてもらって、何が不服なんだ、的な。

 

 ぐぅの音も出ない!

 

 というわけで、目下の目標は再び一人暮らしを始めることだ。

 そのためにはより一層働かねばならぬ。ほんとうに世の中のたいていの悩みはお金で解決できるんだなと実感する。恋や愛の悩みは尊いものだが、現実の破壊力にはかなわない。

 

 心の赴くままに書いてしまったのでなんだかとっ散らかった文章になったが勘弁してほしい。書き出してしまえば整理がつくかとも思ったが、この程度では私の心の大掃除は完了しないようだ。

 

 ああ、ひとりが恋しいぜ。