マジでいじめられっ子でご飯が食べられなくなった話

 

生まれた時からゲイだった

 よく「いつからゲイなの?」と聞かれる。あらためて聞かれると困るというか、いつからという明確なものがないので「生まれた時から」と答えているが、わりと正解なんじゃないかなーと最近思う。

 

 自分は男が好きだと明確に意識し始めたのは小学校4年生くらいのときだ。

 当時私には仲のいい男の子が3人いて、中でもいがぐり頭でスポーツが得意な子のことがいつも気になっていた。彼らと私を含んだ4人でよく遊んでいたけど、隣に座れると嬉しいし内緒話をするときに顔が近づいてくるとドキドキして、自分でも不可解な感情に頭をひねっていた。

 くっつきたいとか一緒にいたいとか、そういうことを思うようになって「あれ、ぼくはおとこのこがすきなのかな」と考え始めた。気づいてからは余計に意識してしまって挙動不審だった。まったくウブなことである。

 

 内気で外で遊ぶよりは図書室で本を読んでいるほうが好きな子どもだったけど、かろうじて人との繋がりを保っていられたのは彼らのおかげだった。今にして思えば、あの3人組がよく遊んでくれていなかったら孤立して激しいいじめのターゲットになっていただろう。軽いいじめられっ子だったけど、よくも気にせずに一緒にいてくれたものだ。

 他の子が悪口を言ってきたりする中で、自分が気になっている男の子が自分に話しかけてくれるのだ。「それ、どこのBLマンガ?」と思わずにやけてしまう。おお、今の私の逞しさが当時の自分にあればと思わずにはいられない。でもこんな下品は小学生はイヤだ。

 そんなわけで小学校を卒業することには立派に「おとこのこがすき!」な男の子だったのだが、思い返してみれば幼稚園のころは男の子のパンツを脱がして喜んでいる子だった。当時からなんとなく同性に惹かれていたのだと思う。業が深い。

 

お母さん、焼肉は無理です

 そんな感じで中学生になった私は、「男の子に好かれたいから女の子みたいにかわいくなりたい」と思うようになった。恐らくだが、ゲイの半分くらいは思春期にこういう思考に陥っていると思う。思春期の男子が同性に好かれたいと思ったら、こう考えてしまうのも仕方ないだろう。

 結論は? もちろんいじめに結びつく。

 女々しく髪の毛を伸ばした内気な男子とか、格好の標的だ。カモがネギを背負ってくるようなものである。特に中学2年生のころは最悪だった。絡まれて悪口を言われるのは日常茶飯事、筆箱やらノートが消えたり、カバンの中に虫の死骸がはいった封筒が仕込まれていたりと、古典的ないじめのオンパレードだ。

 母親は夜の仕事をしていて父親は単身赴任をしていたので、帰っても家には一人きり。自分の部屋に引きこもって本を読んでいるときだけが心休まる時間だった。

 

 ある晩、母親に焼肉に連れていかれた。それまでは大食いでどちらかというとデブな私だったが、中学生になって段々食が細くなった私を母なりに心配していたのだろう。おいしいものを食べさせれば解決するという発想がちょっと短絡的だと思うが、男の子どもを持つ母親の考えなんてそんなものなのかもしれない。

 一人っ子の私は「親の期待に応えなきゃ」という義務感が人一番強かったので、たくさん食べることを期待されればたくさん食べる。気を良くした母はご機嫌になり、苦しいお腹をさすりながら今日もなんとか乗り越えられたとほっと一息ついた。

 そして家に帰った途端に全部吐いた。これが決定的だったのか、この日以来ほとんどものを食べることができなくなった。親には言えないので準備してくれた朝ごはんを食べて、通学路の人目につかない川べりで吐き、学校に向かう。給食はほとんど残し、休み時間にトイレで吐いていたら目立ってしまうので保健室で休んで授業が始まったらトイレで吐く。

 家に帰れば晩ごはんが準備してあるので、バレないようにフライパンに戻したり捨てたりして死んだように眠る。ほんとうにギリギリだった。

 

 やがて心臓の底をおろし金で少しずつ削られるような毎日に限界がきた。それは母親が海外旅行にたつ前日の夜だった。

 一人ぼっちで残されてしまうと意識して、不安が爆発したのだろう。深夜にどうしようもなく息が苦しくなって吐き気が収まらず、ベッドの上で丸まって自分はこのまま呼吸困難で死ぬかもしれないと思った。旅行前夜の母親に頼ったりすれば間違いなく怒られるとわかっていたが、耐えられなくて母親に救急に連れて行ってもらった。

 内科の先生のコメントは「どこも問題ないですね」だった。精神的なものなのだから当然だ。それを聞いて旅行前日にバタバタと病院につれていかされた母親は不機嫌になり、「動悸がするだのなんだの、アンタは大げさに言いすぎなんよ」と説教モード。ますます身を縮こまらせる。逃げ場はどこにもないんだと、車の中で冷たい足先が震えたのをおぼえている。

 しかし病院で吐き気止めをもらっても、胸の苦しさと吐き気はおさまらない。結局学校を一週間ほど休むことになった。心配して有給をとって帰ってきてくれた父が面倒を見てくれてよかったと思う。ちなみに当時の自分がかろうじて父親に言えたワガママは「馬が見たい」だった。父は何も聞かずに一番近くにあった乗馬クラブにつれていってくれた。職員の人と話すこともできず、午後いっぱい馬を眺めて過ごしたのを覚えている。アニマルセラピーが効いたのか、なんとか学校に行ける程度には復活した。

 

 どうにかこうにかその1年を乗り越え、中学3年生のクラスはいじめっ子たちと完全に別れた。さすがに私の様子がおかしいことに学校も気づいたのか、配慮してくれたのだと思う。

 そして私は、たまたま席が隣になった女の子に人生を救われることになる。

 

 ――彼女は腐女子だった。